見出し画像

全てを手放せば幸せはやってくるか (実験の始まり 中編)

3月になり、コロナの影響が身近になって来た。病院は新型ウイルス対策のため一切の面会禁止。仕事も減って来た。4月からは休業要請も出た。

病院通いと仕事で多忙だった日々が、急に暇になってしまった。

最初はとことん寝た。体力が回復するとこんなに身体が軽いものか、と思った。苦手な掃除も、イヤじゃない。

次に、せっせと料理をした。食べたい時に食べたいものを作る。最高。洗い物も、イヤじゃない。

もともと引き篭もり体質なので自宅ライフは結構楽しかった。仕事しなくてもよくて、体力も気持も余裕があり、好き勝手なことをしていたら夫婦喧嘩も殆どしなくなった。

(共同作業さえしなければいいのだ。一緒に食事、とか、一緒にビデオ鑑賞、とか、仲良し家族っぽい習慣を一切期待しなければいいのだと気づいた。でも私は諦めてはいない。いつか仲良し家族になってくれる人と結婚したい)

料理と片付けに相当の時間を使っており、他に何もしていなかった。オットが嫌がるので、散歩も最小限で引きこもっていた。だんだん食べたモノが身についてきたことに気がついて、凝ったことをするのはやめた。

オンライン系の新しいことに取り組んでみた。立ち上げのあれこれは楽しかったが、継続させることに向いてなかった。

気付いたら、時間があったらやれるのに... と思っていた事が何も片付かないまま、6月になった。

何も片付いていないし、新しいライフスタイルも、新しい収入チャンネル構築もできないまま自粛期間が終わってしまった。

良かったことと言えば、15分という短い時間限定ながら病院のお見舞いが解禁になったぐらいか。

見舞いついでに実家に一泊し、ゴミ(と私が判断したもの)をどんどん袋に詰めていった。

父は几帳面な人だったが、一人暮らしとなって20年弱、体力の衰えもあり、壊れたものや経年劣化したものが大量に放置されていた。無駄に家が広いので生活スペースには問題なく、子供部屋に不用品が詰め込まれていた。

パソコンでもプリンターでもデカいモニターでも、通販で何でも買えてしまうが、老人にとっては空き箱ですら捨てるのは容易ではない。

掃除も片付けも好きでは無いのに、自宅も実家も不用品が多く雑然としていてイライラした。

マイナスをゼロにする努力だけでエネルギーを使い果たし、生産的な事が何もできていないことにもイラついていた。

美しいものに囲まれて、美しいものを作り出す人、それによって人気もお金も引き寄せている人が羨ましかった。

理想の家庭もなく、モノの溢れた狭い部屋で、ハーフタイムの仕事しかしていないのに毎日疲れ切ってゴロゴロしている。子どもは望まなかった。他人のために尽くしてきたような気はするが、これまでの人生、自分のためには何も積み重ねてこなかった。忙しいフリをして自分と向き合うことから逃げてきた結果だということが今ならわかる。

若い時の私の自己否定は酷かった。長女だったし病弱だったこともあり、常に不安で自分の意思で何かを選択する強さがなかった。周りに流されるようにコトが進み、子どもの頃は努力しなくても結構テストが出来たから、コツコツがんばることができない人間になってしまった。意味の無いプライドと正義感だけはあったので常に批判的で、周囲には理解されず、天然ちゃんだと思われていた。

そこで嫌われずに"ちょっと変わった子"と思われていたことは幸運だったはずだが、共感され無いが故にいつしか心を閉じるようになってしまった。ま、よくありがちな思春期だ。

大学時代は仲間がいた。部活動に燃えていて、先輩とも同期とも後輩とも結束感を味わえた。一瞬だが万能感を味わった。

しかし、社会はそんな狭い世界ではない。新人は最下層扱いだ。慣れない仕事でのミス、馴染めない会社の常識、再び、私の本心は誰にも理解してもらえない...そんな閉塞感に囚われた。実際は、言葉にして説明できなかっただけなのだが。そんな時に出会ったオットは、天真爛漫な子どものような心を持った人で、とてもラクに過ごせた。

でも子ども同士が結婚するのは間違いだった。私が譲歩しているうちは良かったが、次第に疲れてきた。

まず体力的に消耗してくると精神、気力で補おうとする。知らず知らずのうちにに気の枯渇が身体の症状として現れて、誰の目にも明らかになったので、私は仕事を辞めた。

後編に続く

いいなと思ったら応援しよう!

こやまちか
サポートは私の幸せのために使います。読んで下さった方にも幸せが訪れます!