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今月読んだ本 『被告人、前へ。』阿曽山大噴火


わたくし何を隠そう、初めて生で観た芸人は阿曽山さんです(笑)
ロン毛、帽子、メガネ、ヒゲ、そしてスカート。
とまぁ〜このように、いかにも何かをしでかしそうなルックスなのに、中身はすごい常識人だったりする。
もしかしたら、私よりも頭かたいかもしれない😅
Wikiを見たら父親が警察官だったと書いてありました。
なにっ!?
お父さんの目に息子はどう映っているのだろうか??


エンタの神様などにも出ていたので、ご存知の方も多いと思いますが、阿曽山さんは実際の裁判で起きたことをネタにしています。普通のお笑いを見るのとは、ちょっと感覚が違うかもしれません。
傍聴に行ったことがない人ならば「法廷ではそんなことが行われてるの!?」「そんな弁護士や裁判官もいるの!?」と驚いてしまうようなリアル裁判の珍妙なやりとりを、阿曽山さんが自前のイラストで解説しながら紹介するという手法。

私が観に行ったライブでも、お客さんは真面目な雰囲気の方が多く、もしかしたら法律を勉強してる人もいたのかもしれません。
質疑応答の時は、次々と途絶えることなく手が上がり、途中から手を上げずに質問し始める人まで出る始末。
「え、なに!?手上げるの面倒くさくなっちゃったの!?」
と、お馴染みの口調でツッコミ入れてました(笑)


そんな阿曽山さんのネタ。テレビ向けのものは、YouTubeで見尽くしてしまったんですよね😅
本には私のまだ知らないネタが(ネタと言っていいのか分かりませんが)あるかもしれないと思い、ネットで調べたところ、いくつも著書がヒットしました。
そして『被告人、前へ。』読んでみたら、知らない話ばかり!
おお、これは買ってみてよかった。

あくまでこの一冊を読んだだけなので、他の本は分かりませんが、テレビではテレビ向きのネタ、本では本向きのネタ、という具合に使い分けている印象でした。
分かりやすくてツッコミ入れやすいのがテレビ用だとすると、『被告人、前へ。』の方は、傍聴で聞き取った内容をもとに、最後の最後に事件を総括して上手いことを言うスタイル。まるで落語家さんみたいな落とし方で、実はこちらが阿曽山さんの真骨頂なのかもしれないです。
ちなみにライブで扱っていたのもテレビ用のネタですが、色んな事情でカットせざるを得なかった詳しい所も聞かせてくれました。



本の内容に触れたいですが、、、ちょっと難しいんですよね。
阿曽山さんは実際に傍聴に行き、自分の目で見て自分の耳で聞いたことを書き起こしているので、ある種「レポート」とも言えるわけですが、私がそれをもとに笑いを取りにいくのは違うのかなと。
ホントは色々言いたいけどね!
偽物だと分かっていながらご祝儀まで払った冷やかし参加者だらけの披露宴とかね!なんだそりゃと。
世の中には意味不明の事件が実際にあるものだなと。



あとがきもなかなか衝撃ですよ。
「報道された事件の裁判を傍聴すると、新聞記事と冒頭陳述が違うことに気づく。決して珍しい話ではない。」
マジか!Σ(゚д゚lll)
「しかし、裁判を傍聴しても食い違いに気付くだけで、どちらが正しいのかは分からない。報道と検察官に対して、ちょっとだけ疑いの目を持つだけだ。
 それは、裁判が真相解明の場でないことの証明である。提出された証拠を基に、とりあえずの判断をする場所なのだ。だいたいで行われているのが現状なのです。」

お、おおお:(;゙゚'ω゚'):

「多分、世の中は正確さを求めてはいないのでしょう。だいたいで、適当で、アバウト。
 時間稼ぎをする弁護人・感情的に叱責する検察官・居眠りする裁判官、一部の法曹関係者を見ていると、適当と思わざるを得ない。
 そんな中、正確さを求められる人がいる。被告人だ。アバウトでは許されないようです。その期待に応えるかのように、真摯な態度で挑む被告人を見ていると、唯一ちゃんとした人に感じてしまう。皮肉な話だ。」

ちょっとー!!!((((;゚Д゚)))))))そうなの!??




でもね〜、、、実は私も読みながら途中で思ってたんですよ。
ここからは、本の感想ではなく完全に私の持論になりますが。
言い方が難しいけど、裁判が被告人にとって「ご褒美」になってはいないだろうか?と。彼らは結局、悪いことをしたと理解してないんじゃないのかな。だから話が全く噛み合わないし、酷いのになると一人でトンチンカンなオンステージ始めちゃう被告人もいる。もはや一世一代の晴れ舞台と思ってそう。。。
重大な事件を起こせば、色々な人が自分を追いかけ、捕まえ、何故そんなことをしたのかを聞いてくれる。裁判になれば、より多くの人が自分に注目してくれる。彼らはそれを分かってるからやるんじゃないかな。

誰だって新鮮で美味しい水で自分を潤したい。ところが、誰からもそれを注いでもらえなかった人は、泥水でもいいから自分に注いでくれ!と思ってしまうらしいんですよね。
家族に見放され、学校にも見放されてしまったとしても、暴走族になれば、少なくとも警察は追いかけてきてくれますから。構ってもらえるならば、嫌われようがもうなんでもいい!!みたいな心境でしょうか。
最近観た動画でそんな話を聞きました。


被告人を叱責している検察官等の場面で、なんかスーパーで叱るお母さんと子どもみたいだなと思ってしまったんですよね。お母さんから叱られるというデメリットよりも、広い通路でウッヒョー!と叫びながら走り回る快感の方が上回ってしまう。結果、ブチギレたお母さんに見放され、ようやく事態の重さに気付いてギャン泣き。
いや、悪いのは君なんだよ?と。。。
「お母さんが怒った」ということくらいしか記憶に残ってないかもしれないけど。


決して彼ら〝法の番人〟の努力を軽んじているわけではないのですが、悪いことした人を大勢の前で叱るシステム(このような薄っぺらい言い方で申し訳ない)では、犯罪者を喜ばせるだけなのかもしれないなぁと。

自分を愛せる人は、理不尽なことがあっても犯罪行為とは違う方法で自分の気持ちを昇華させていくと思うんです。
泥水被りたがってる人たちは、そもそも、泥水でなく美味しい水を注いでもらえる可能性が自分にもあるという発想がない。だから、ないなりの言動にしかならない。
そんな風に私には見えます。


家族も学校も通りすがりの人も、ほんの一部だけ切り取って好き勝手なこといいますよ。
そりゃあ言いますよ。
でも、その言葉にどう反応するかは自分で選べるんだよ?と言いたい。
少なくとも私はそう自分を励まして生きてきました。
日々モヤモヤしたりもしてるけどね😅
分かってくれる人は必ずひとりは現れる。
ひたすら耐えなきゃいけない時期もあるけど、それは大人なら誰でもみーーーーーーーんな経験してることじゃないですか。
毎日つまんなさそうな顔して通勤してる大人も、「モブキャラ」じゃないからね?
みんなそれぞれ色々と大切なものを抱えて、誰かに愛されながら、苦しいこと乗り越えて生きてる人たちだからね。
モブというのはゲームの中の概念であって、現実世界にモブキャラは存在しないからね。
誰に言ってるわけでもないけど。



おまけ
ちなみにですか、私が阿曽山さんのネタで一番笑ったのは、バイト先の好きな女の子の部屋に忍び込んでお風呂場にカメラを仕掛け、パンツを盗んで帰ったら、女の子じゃなくてその彼氏のパンツだったというオチ。
ニオイまで嗅いじゃったんだよな〜(笑)

あ!事件の内容には触れないつもりだったのに結局言っちゃった!!

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