八日目 令和元年五月六日 十二時半頃
東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。八日目 令和元年五月六日 十二時半頃。駿河國 蒲原宿。
【上段左】街道の地蔵。生花が供えられている。土地の使い方、配置の仕方から地元での地蔵信仰の熱さが伺える。
【上段中、右、中段左】小休(こやすみ)本陣「常盤家住宅主屋」。この辺りは吉原宿と蒲原宿との間に位置する「岩淵間宿(あいのしゅく)」として栄えた。徳川幕府時代、街道の決められた宿場町以外での宿泊はご法度とされていたので、休憩のための本陣、小休本陣というのが設置された。本陣は大名などの宿泊施設。思い返せば、自分も宿場以外で宿泊しないように歩いていた。この常盤家住宅の所有者は女優の常盤貴子の実家のようだ。今、調べて知った。ここの管理人の方と座り込んで一時間以上話し込んでいたが、そんな話は出てこなかったような気がする。
管理人の方との話は、東京オリンピック反対の話からご自身の家族の話など。特に自分の兄がフーテンをやっていて慕われていたけど早死したと言うような話まで出てきて、大変楽しかった。どこの馬の骨かわからない旅人相手に日頃近しい人に話せない話をすることはよくあるのだ。そこがまた旅に出ることの面白さでもある。
【中段中、右】常夜灯。嘉永六年(1853)建立。修復しながら残している。台座には盃状穴が辛うじて見られる。
【下段左】富士川の富士川橋を渡る。晴れていれば、この方向に霊峰富士を拝むことができた。
【下段中】指定村社水神社。「指定村社」という珍しい社格。村社と何が違うのか。神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)である村社ということだ。普通の村社とちょっとだけ違っていたらしい。
【下段右】境内の常夜灯の台座には明確な三つの盃状穴があった。