三日目 令和元年五月一日 十二時十五分頃
東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。三日目 令和元年五月一日 十二時十五分頃。三河國 赤坂宿。
立派な看板だけが残っている酒屋。
何だかとっても美味そうな鰻屋さん。その名も「うまぎ屋」。旧屋号が読めそうで読めない。「前橋(?)屋(?)」か。ちょうど昼どきだったので、立ち寄ろうかどうするか店前でかなり考えた。考えた末、時間と財布の中身との節約を優先させ、店に入るのをやめた。ここなら家から近いので、自動車でいつでも行けるわと思った。
街道筋の連子格子の家。
歴史的建造物らしき建物。佇まいから、病院、役所もしくは公民館のような気がする。いずれにしても個人宅ではなく、公共性の高い施設だったと思われる。特に歴史を解説する看板も設置されていない。単に払い下げられ、使い捨てになる運命か。調べてみると大正時代に建てられた歯医者らしい。現在は写真屋。永続性の可能性は低く、まさに歴史の使い捨て。
関川神社。芭蕉の句碑がある。街道筋は芭蕉の句碑の宝庫だ。
夏農(の)月 御油与(よ)李(り)以(い)てゝ 赤坂や
赤坂宿と御油宿との間隔の短さを詠った句という。赤坂と御油との間隔は東海道で一番短いそうである。趣深い句。芭蕉は御油と赤坂との間で、江戸方の御油から出てきた月を眺めているのだろうか。月が沈むのはすぐそこの赤坂だ、ということだ。となると芭蕉の位置は御油と赤坂とのちょうど真ん中になる。残念ながら関川神社の位置では赤坂に近すぎる。
関川神社の大楠。樹齢八百年以上とされる。