十二日目 令和元年五月十日 七時四十五分頃
東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。十二日目 令和元年五月十日 七時四十五分頃。相模國。平塚宿から藤沢宿へ。
【上段左】道祖神。わざわざ大きく「道祖神」と書いてあるのは珍しい。地蔵の横に「地蔵菩薩」と大きく彫ってあることを想像すれば、その特異さは際立つ。道祖神ということは見れば分かるはずだ。相模國は特に道祖神が多い。地蔵は全くおらず。
【上段中】道祖神。左の道祖神と200m程度しか離れていない。やはり多い。二つの丸い石はおそらく力石ではないかと思われる。ただ、この配置には意図を感じる。男女双体道祖神なので、これは夫婦和合であろう。となると男性性器を模しているに違いない。これは江戸時代からの配置なのか、それとも後世、しかも戦後なのか。
【上段右、中段左】江戸時代の旧東海道とは直接のつながりはないが、国指定史跡「旧相模川橋脚」。大正十二年(1923)の関東大震災の地震で、田んぼの中から突然この橋脚が露出した。調査の結果、鎌倉時代のものと分かり、国指定の史跡、天然記念物になった。現在、写真のように見えている橋脚は地震で出現した時の様子を模したもので、本物はその地中に保存されている。
【中段中】東海道の名物饅頭「でかまん」。創業昭和二十六年(1951)。
【中段右】道祖神。台座には盃状穴が見られる。
【下段左、中】南湖の左富士。京都に向かって富士山が街道の左側に見える場所は、ここと吉原がよく知られていると言う。
【下段右】茅ヶ崎一里塚。復元模型ではなく、史跡。
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