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ONE MAN TOUR アンサンブル・プレイ ツアーファイナル〜スニッチなしのニッチな超個人的感想文〜

2022年12月8日。朝7時頃のこと。
「今日パパは何時(出勤)なの?」
朝食を摂りながら娘が聞く。今日のライブのことはまだ話していない。前回と同じ作戦。

いつもならもう少し遅く起きるから、この質問をされるのももう少し遅い時間のはずだったんだけど…。ま、いっか、仕方ない。

「今日…パパは…ドゥルルルルルルルル…」
LIFE!の出演者を速報する三津谷さんよろしく、口でドラムロールを再現する私。

「え?なに?なになに?こわいこわいこわい」
怯える娘。

「ドゥルルルルルルルル…ドゥン!今日はお休みです!!」

「…だと思った、突然ドゥルルルとか言い出すから」
冷めた口調で答える娘。私は肝心なことを一息に宣言した。
「そして午後ママは出かけます。半休です!!」

「えーーーーー出かけるのーーーー?どこ行くの??」

「えーっと、いったん都会に出て、都会を通り抜けてもう少しだけ田舎まで行く」

「なんそれ?だからどこよーー?」
ZAZYみたいなことを言う娘に、本日の目的地を教える。

「さいたまスーパーアリーナ!」

「……なんでまたこんな平日に、そんな遠くまで行くのかねー?」

「しょうがないじゃん、横浜は外れちゃったし、東京はそもそもなかったし、土日は広島と神戸しかなかったんだから」

「へいへい、それじゃしょうがないですねー」
もっとごにゃごにゃ言われるかと思ったら、こちらが拍子抜けしてしまうくらいあっさりした反応だった。


荷造りは済ませていたから、あとは身支度をするだけ。娘が朝食を食べ終えるのを見届けて、シンクの洗い物を片付ける。出かける前に昼食を作れば大丈夫そうだ。

これまでと比べて気が楽なのには理由がある。娘が自分で自分の食事を作れるようになったのだ。きっかけは私が1週間前に接種したワクチンの副反応。発熱と全身の倦怠感で起き上がるのもしんどかった。ポカリスエットをがぶ飲みしながらうんうん唸っていると、娘が唐突に「ご飯自分で作ってみるか!」と言い出したのだ。

これまでもワクチンを打つたび副反応は出ていて、熱も倦怠感もすごかった。でもふらふらになりながら台所に立った。それが4回目にして初めて、自分で作ってみると言う。
…こんな日が来るなんて。

摂食障害を患う前、娘は気が向くとときどき料理を作っていた。不器用な私よりずっとセンスがあって、盛り付けも上手く、とにかく美味しかった。だから、また料理を始めてくれたらいいなと密かに思っていたのだ。

調理器具や材料のある場所と、大まかな作り方を教えると、ひとりでどんどん進めていく。少しして根菜の煮込みうどん(うどんは米粉100%)が出来上がった。器に盛り付けて、スマホで写真を撮る娘。満足そうだ。
今度は私に向かって「ちっちゃめの器出して」と言う。言われるまま渡したら、これはママの味見の分、と鍋に残っていたものを取り分けてくれる。食欲のない私のために、少し多めに作ってくれたようだった。

その小さめの器の煮込みうどんの、何と美味しかったことか。五臓六腑に染み渡る…とはまさにこのことを言うのだと思った。
涙が出た。

なにより一番大きかったのは、これで私にもしものことがあっても、娘はどうにかして生きていけるだろうと思えたこと。
食事を作る = 命を預かるという重い重い肩の荷を、たまには下ろしてもいいのだと、ようやく自分で自分に許可を与えることができた。

それに加えて、ここのところ娘の体調や体重が安定しているのも大きい。もしこの一食が食べられなかったとしても、生き死にに関わるほど重大な事態にはならないと思えることは、どれだけの安寧をもたらすことか。

さて、身支度はあっという間に済んでしまい、夜に備えて仮眠をとることにした。目覚めて娘の昼食を作ると、後で食べると言うので、ラップをかけて出かけることにする。

晩ごはんは自分で作ってね。もし作れなかったら、炊飯器にご飯炊いてあるから適当に食べて。終電には間に合うように帰ってくるから。

「ほーい」
前回のときのように出かけ間際に呼び止められることもなく、すんなり家を出ることができた。

電車に乗ると、娘からメールが届いた。久しぶりに体重計に乗ってみたら39kgになってる!と書いてある。座っていたけれど、嬉しすぎてあやうく飛び上がってしまうところだった(この先の道のりが長いことを思い出してどうにか思いとどまった)。

36kgを切りそうになって、主治医から入院も視野に入れなくてはならないと言われていた春頃から比べたら、信じられない進歩だ。
食べても食べてもじりじり減り続けるばかりでしんどかったけど、ここまでよく耐えてがんばったね。
感嘆符を10個つけてメールを返信した。

これで後ろ髪を引かれることなく、楽しむことができそうだ。

いってきます。


12月8日。初めてのさいたまスーパーアリーナ。私にとってはそれだけでもう感慨深い。
というのも、12月8日は敬愛するジョンレノンの命日。そしてさいたまスーパーアリーナには、かつて「ジョン・レノン・ミュージアム」があった。当時トリビュートライブが開催された聖地でもある。その日その場所に行けるだけで価値のあることなのに、その上、ちょうどその日その場所で同じく敬愛するCreepy Nutsのツアーファイナルが開催されるなんて…。

それに今回は、今回こそは、ずっと仲良くしてくれているFFさんと初めて会えそうだった。いつか会おうねと言い続けて、既に2年以上が経過してしまっている。

去年のツアーファイナルでの約束。守れなかったことがつらすぎて、今回事前に約束はしていない。でもなにかとんでもなく緊急のことが起こらない限り、Rちゃんはきっと来る。きっと会える。

電車を乗り換えてから、RちゃんにDMした。少しすると返信があり、さいたま新都心駅の改札のあたりで待ち合わせることになった。

電車を降りると、すでにたくさんの人でごった返している。私の方が先に着いたようだった。あまり人が多い場所だと、待ち合わせしづらいな。改札付近で、周りに人があまりいなくて、かつ分かりやすいのはどこだろう。辺りをキョロキョロうろうろするうちに、総合案内所という場所を見つけた。今のところここで待ち合わせをしているような人は誰もいない。
よし、ここにしよう。

初めて会うから、お互い顔がわからない。総合案内所という場所と、紺色の帽子にメガネ、緑色のカバンに…と身につけているものを羅列したDMを送る。窓口に人が立っているから、正面からは写真が撮れず、不思議な角度から撮った「総合案内所」の写真も添えてみる。Rちゃんからも返信が届いた。ドキドキドキドキ。

少しすると向こうの方から、大きく手を振りながら近づいてくる人がいる。きっとRちゃんだ!私も大きく手を振り返した。

「白馬ちゃん!」
「Rちゃん!」
「ようやく会えたね〰」
「うんうんようやく会えたよ〰」

感極まって泣いてしまった。えーん。

いろんなことがよくなったら、絶対に会おうねって言っていたけれど、もしかしたらこのままずっと会えないってことだってあり得るよなって本気で思っていたんだ。

そしてRちゃんがTちゃんにも引き合わせてくれた。Tちゃんとも、本当は去年のツアーファイナルで初めて会う約束をしていたの。今日来るかどうかはあえて聞いていなかったけれど、ようやく会えて本当に本当に嬉しくて、また泣いてしまった。

その後もたくさんの人に会えた。Yさんeちゃん、EさんAさんHさんYさん。Mさんとは気になっていたその後の経過についてお話しできたし、Gちゃんに紹介してもらってずっとお会いしたかったHちゃんにもご挨拶できた。Rさんとはハイタッチできたし、Sさんにはなぜかドラマの話を一方的にキモく語ってしまった(めちゃくちゃキモくて申し訳ありませんでした🙇‍♀️)。

会ってくださった方々、本当にありがとうございました。

それから皆さんの後に続いて歩き、どこで配っているのか全く分からなかったファンクラブ会員限定のクリアファイルを無事ゲット。そのまま続いて歩いて、入場ゲートまで迷わず辿り着くことができた。どこにいても、どこまで行ってもものすごい人、ひと、ヒトで、私1人ではどこにも辿り着けなかったと思う。皆さんには本当に感謝しかない。


ゲートで手指消毒と検温。チケットのチェックを済ませて入場した。電子チケットでの入場にもようやく少し慣れてきたように思う。
座席番号だけではどんな席なのかわからなかったが、着席してみると肉眼でもステージの見える良席だと分かり、爆上がった。

前列、私の前とその両隣の3席は長いこと空席だった。もしかしてこのままかしら…(だとしたら視界良好でラッキー!)と思い始めた頃、女性と小学校高学年くらいの女の子が着席した。親子連れのように見えた。右斜め前は最後まで空席のままだった。

そして、ついに開演。板の上、照明の中のお2人は今日もキラキラと発光して見える。
総立ちになる客席。

私の前は幸いなことに、舞台上のRさんまで一直線にあまり背の高くない人が続いていて、終演までほとんどモニターを見る必要がなかった。
前列の親子連れと思われるふたりは、最初私の前席に女性、その左隣が女の子という席順だったが、ほどなく左右で入れ替わった。女の子もさっきよりステージが見やすくなったようだった。

このふたりが、終始微笑ましかった。手を繋いでノリノリで踊ったり、疲れたら無理せず着席して休憩したり、曲中、耳元に口を寄せて話しかけたり。ふたりがこの時間と空間を全身で楽しんでいるのを見ていると、それだけで私まで楽しくなった。

まだ小さかった娘を連れて、私の趣味だった観劇によく行ったな、と昔を思い出したりもした。もしこのふたりが、タイムスリップしてきたあのときの私と娘だったら…。勝手に重ねて妄想して、勝手にあたたかい気持ちになった。

終盤になり、噂の“演出“のあれやこれやが宙を舞う。前席のふたりのところにあれもこれも降ってきて、ふたりともあれもこれも手にして嬉しそうにしているのを確認。勝手にほっとした。私の左右の席の人もゲットしたようだったが、私の手元には何も降ってこなかった。

最後の最後、はらはらと降ってきた2度目の“演出“が1本、私の鼻先をかすめて、前席の座面の上に落ちた。本来ならそれは女の子のものだろう。でも女の子はもう持っているのを見て知っている。強欲な私はごめんね、と心の中で謝って、目の前の座面の上のそれをサッと拾い上げた。

深々とお辞儀をして、お2人がステージを後にする。規制退場がアナウンスされ、いったん座ろうとすると、私の席の座面に1枚、1度目の“演出“が載っているのに気づいた。
どうやら私の真後ろの席の人は、私のような強欲ではなかったらしい。
ありがたくいただいて帰ることにした。

1枚と1本。大切にカバンにしまった。


帰路。何本も電車を乗り換えながら、次から次へと現実になった夢のような出来事をずっと反芻していた。今日起こったことは、本当に全部、現実だったのだろうか。明日目が覚めたら、1枚と1本も、クリアファイルも、出口にあったZONeも、たくさんの方々からいただいたお土産も、全部消えてなくなっていて、やっぱり夢だったのかって思ったりするんじゃないのか。
まあそれも悪くはないか。

帰宅すると、娘はすでに寝ていた。晩ごはんを食べた形跡もある。この子はもう、私がいなくても、ごはんも食べられるし、眠ることもできる。
心から安堵した。


スニッチになってしまうかもしれないけど、最後にひとつだけ。ある曲前のMCでRさんが「持って帰ってください。俺らも持って帰ります」と言っていた記憶がある。
(幻聴だったかもしれないし、記憶違いかもしれないし、そうではなかったとしても、そのようなニュアンスの言葉を私が脳内で勝手に解釈したり変換したり意訳したりしているかもしれない、ご容赦ください)

Rさんのお言葉に甘えて、あの場所からたくさん持って帰ってきた。見えるものも見えないものも抱えきれないほどたくさん。

たくさんの夢を現実にしてくれてありがとう。たくさん持たせてくれてありがとう。あの場にいた大勢のうちの1人になれて嬉しかった。
持って帰ってきたものは、翌日目が覚めても、その後何度寝て起きても、何一つ消えてなくなってはいなかった。見えるものも見えないものも、今も全部ここにある。食べてしまったお土産のお菓子以外は。

でも積年の夢がいっぺんに叶ってしまうのも考えものだ。しばらく抜け殻のようになってしまって、何も手につかなかった。ほくほくの感想文を書こうと思っていたのに、こうして半月が経つまで、一文字も書き進めることができなかった。

2022年12月8日。私の中ではものすごく大きな転換点だったように思う。

あなたがたもようやく、ずっとずっと地続きだった毎日に、句点ではないにしても、読点くらいは打つことができたでしょうか。
これから先、どんな方向にどんなスピードで進んで行っても、あるいは少し立ち止まっても、勝手にずっと見ているし、勝手にずっと応援しています。

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