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演劇は料理に似ている。

(2024-08-15)

演劇は料理に似ている。

日光金谷ホテルが昨年150周年を迎えて、初期のメニューを再現した料理を提供していた。取材の時、料理長に話を聞いたことがある。
当時のレシピは今でも山のように残っているそうで、発掘したそれらの中からいくつかの料理を再現するにあたり、レシピ通りに作ってみてもどうも、味がうまくないのだという。
何が違うのか、これで正しいのか、聞こうにも当時の人は誰もいない。きっともっとおいしかったに違いない、という前提で、レシピに書かれていない部分を実験していったという。入れるタイミングが書かれていない調味料。焼く・煮るなどのタイミングが書かれていない手順。実験を繰り返して、調整を重ねた結果、再現メニューとして提供できるものになったのだそうだ。

演劇の台本もまるでそのレシピとそっくりである。

セリフは書いてあり、場所や時間は指定されている。でもそれは大まかな手順にすぎない。怒鳴る、殴る、身体を揺さぶる、など激しい行動は書いてあっても、肩に手を置く、寄り添う、見つめる、目をそらす、なんて細かな行動までは書かれていないし、誰かがセリフを言ったときのそれぞれの役の反応なんてほとんど書かれていない。それぞれの役がそもそもこの当日どんな気持ちでこの場にいるのか、も、書かれていないことの方が多い。
それで、重要なのは、書かれていないからといって「ない」わけではないということだ。
きっと、ないはずはない。だって、生きてるから。きっともっと何か考えて生きているはずだから。人間だから。ここにいるのは人間に違いない。という前提で、役者と演出は実験を繰り返す。台本というレシピに書いてあるタイミングすら疑いながら、本当にそうなのか?と実験する。もしこのタイミングにこんな感情の調味料を入れたら?もしこのタイミングでこんな発見の調味料を入れたら?もし?もし?……
実験を繰り返して、調整を重ねた結果、ここに書かれていた世界というのはこういうことだったんじゃないか、とおおむねの納得がいくものを、舞台作品として提供するのである。

役者さんに料理好きが多いのもなるほどだ。

(2024-08-15)

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