プロになれなかったら意味がないと思いますか。演劇を始めたころの私はそう思っていました。演劇を仕事にして食べていけないんだったら、それは自分の努力が足りないか、圧倒的に才能がないか、超・運が悪いか、食らいつく精神的強さが不足しているか、そのすべてか。それだったら自分って本当に価値がないだろうなあと思っていました。 そんな私は今、舞台演劇だけでは食べていません。もう少し広い意味で、役者だけで食べているかといわれてもノーです。演劇に関係のある仕事は、演劇部の指導員やコンクールの講
(2024-08-15) 演劇は料理に似ている。 日光金谷ホテルが昨年150周年を迎えて、初期のメニューを再現した料理を提供していた。取材の時、料理長に話を聞いたことがある。 当時のレシピは今でも山のように残っているそうで、発掘したそれらの中からいくつかの料理を再現するにあたり、レシピ通りに作ってみてもどうも、味がうまくないのだという。 何が違うのか、これで正しいのか、聞こうにも当時の人は誰もいない。きっともっとおいしかったに違いない、という前提で、レシピに書かれていない
旅をしたい 旅に出たい 旅を生活にしたい 旅先で出会う人にしばし触れて、その時自分にできる精いっぱいの貢献をしてはまた別の場所へゆきたい それなら一瞬一瞬のときを大切にできるような気がする と、旅というものに憧れ いざ大人になって旅に出てみると 旅というのは、帰る場所があるから成り立つのではないかとも思った 帰る場所があり、待っている人がいる ふるさとがあり、なつかしさがある だから、旅に出るのだし、そして人はいつか帰るものなのではないかと思った 待つ人の想いも、わかるよ
中学2年の冬休みに、初めてテレビで宝塚歌劇を観たんです。 最初はすごく気恥ずかしかったのですが、スターさんの笑顔や爽やかさやかっこよさにすぐに虜になって、いつかホンモノを見たいと願うようになりました。 バレエを習ってみたい… 歌を習ってみたい…と思い始め、 脚を上げてみて自分の身体の硬さを知り、こっそり柔軟体操をはじめたり… 横浜に住んでいて、ごくたまに東京を通るとき、東海道線の車窓から見える宝塚1000days劇場(当時は建て替え中で仮の劇場でした。大きな無印良品になった
私って雑巾みたいだな。と思った。古くなって使い捨てられた雑巾みたい。もうボロボロだし、見た目も悪いし、臭いし、その辺に落ちてる。 雑巾ってどんな気持ちなんだろう。最近の雑巾は雑巾としてつくられてるものも多くて、100均とかで真っ白の「ぞうきん」として売ってたりするけど、私の知ってる雑巾は、最初は洗面所でお顔を拭くふわふわのタオルだったアレだ。洗面所から、台所に、脱衣所の床に、どんどん格下げされていって、最後に形も変わって、けばけばになった頃にデビューしたアレだ。 それだって「
昔ずーっとむかし、いのちの電話に電話したことがありました。些細なことかもしれないけど、生きていく道に迷ってしまって、もちろんその時も演劇をやっていて。どこか遠くに行きたくなって何時間も電車に揺られて銚子の犬吠埼まで行って海を見て泣いて、迷いながら電話したとき「でも好きなことやってるんですよね」って言われて。 そうか、ここは食べ物も着る物もなくて困ってる人のための電話だったんだ、って場違いを思い知って、でも私は演劇がなかったら生きていけないのに、って思った。その頃は、そのため
(2011-01-14) 昔住んでいた駅を通りかかるのはとても不思議な気持ち いつも歩いていたホーム 制服で走り降りた階段 ランドセル背負って待っていた踏切 見上げた丘の上には私が通った小学校があって 反対側の丘のむこうにはおばあちゃんとおじいちゃんが住んでいた 毎日通ったアーケード 焼鳥屋さん カメラやさん 電気屋さん 八百屋さん お肉やさん お豆腐やさん 文房具屋さん お惣菜やさん お花やさん 和菓子屋さん 中華やさん 亀屋万年堂 遊び場だったマンションの駐車場 ラジオ
(2011-08-05) おはずかしいかぎりですが。 きのう、アルバイトに行かなきゃいけなかったのに、朝からどんよりの自分の心の中の悪意に自分で傷ついて、泣きながら電車に乗って、遠くに行こうと、ずっと電車に乗っていってしまいました。 ずーっと泣きながら、ボックスシートに座って、ゲリラ豪雨をかいくぐって、泣きながら、どんどんどんどん、乗って、遠くへ、遠くへ、遠くへ、4時間。 きのう、銚子にいました。 犬吠の海を見てもまだ泣いていました。 満ち潮で海から上がってくるいろんな
「べつに」の精神で行きたいもんだよね べつにどちらでもいいです 私は私がいいと思うからやりたいと思うからやっているだけで 他の人が何を言おうがどう評価しようがべつにどうでもいいです 大好きなものは大好きで 笑っちゃうときは爆笑 面白くなければシーンとしています 素直にありがとうというし 人に親切にもします けど何かの見返りは求めない それをすることで何かを得ようとか姑息なことは考えません いい匂いのものが好き おいしいものが好き ふわふわのものが好き きれいな太
マスターが、ぎーっと扉を閉める。 ここは、町のざわめきから外れた、古いジャズクラブ。 ピアニストと歌い手が出てきて ポン、と弾いた音が飛び出した瞬間、 歌い手の姿は黒くて艶々の毛並みの大きなドーベルマンに、 ピアニストは、真っ白な耳の生えたウサギの姿に変わって、 あっという間に美しい音楽が私の心と体を包みました。 あまりに心地よい音色だったので、 目をつぶって、音楽に身を浸しているうちに、 あっ、ほんとうはいけないのに、わたし、実はノギツネだったんです。 ノギツネの姿に戻って
子どものころ、へんにできすぎて、普通にやっていると学校で一番になったり、絵や習字で表彰されたりしてしまった。他の人から、なんか違う目で見られた。それを気持ちいいと思う自分が気持ち悪くなって、簡単にはできないことを探すようになった。 こういう書き方は人にどう思われるだろう。ああ。私はまた考えている。他人の目を気にしている。気にしなければいいのに。でも、他人からどう思われるかで行動を決めるのは社会的には多少は大切なことかもしれない。 本当はどんなふうな自分でいたいのか、それは
私は祖父母に育てられた。 とこう書くと、両親の愛情を受けていないみたいに聞こえるので両親に申し訳なくなる。そういうわけではなく、両親にももちろん大事に育ててもらったが、共働きの両親が仕事に行っている間、近くに住んでいた母方の祖父母がずっと面倒を見てくれたのである。私が10歳・小学4年生になるまで、祖父は私と弟を毎日車で迎えに来て、毎日送ってくれた。 祖父母は長野の人である。 戦後、祖父が神奈川県警の警察官になって神奈川にやってきたと聞いている。生まれ育った長野から二人で
(2009-06-09) さみしいな。 でもこのさみしさもいいんだろう。 と、つよがってみたりして。 なにかを選ぶということは、 なにかを捨てるということだ。 誰かを選ぶということは、 他の誰かを切ることだ。 と言って選ぶことをやめたとしたら、 それは全部を捨てることになるかもしれない。 毎日、毎日、私たちは、なにかを選んで生きていきます。 それでたまには、選ばない、ということを、選ぶ時もある。 どんな結果になったとしても、ありえないことはひとつもなくて、 ありえない
(2014-12-27) 花を咲かせたくて 自分の蕾を育てて 枝にしがみついて いくつもすぎる季節をみている 自分が咲く番になるのは いつだろう いつだろう 心を温めながら 冷たい風や夏の暑さにも耐えてきた 周りで花が咲いている 長く咲く花もあれば すぐに散る花もある わたしもできれば長く咲けたらいいな いくつか季節を経てふと気づく もしかしてわたしは花じゃないのかな 蕾だと思っていたけれど 葉っぱなのかしら 枝にしがみついて 必死に耐えてきたけれど 花を咲かせるこ
何から書いたらいいのかなと迷う時ってたいてい、これを書いたらどんな風に思われるんだろうと考えている。 こうやって迷うようなことは、そもそも書かない方がいいとか、他人に言うようなことじゃないとか、そう考えて、ぜんぶdeleteボタンで消した夜もあった。 過ぎたことだと思って聞いてもらいたい。 自分にとって、ある程度は過ぎたことだと思っているから書こうと思ったのだけど、でも、本当に自分にとって過ぎたことになったのかどうかは、今の時点ではわからない。 10年続けた劇団をおとと
(2014-11-15) 小学校の頃、転校をしたのですが、 先日、そのときにあったことや感じていたことを話していたら、 本気で泣きそうになりました。 10歳の時のショックとか絶望が、 31歳の私にもまだまだ真新しく、 思い出せばヒリヒリします。 転校してすぐ、消しゴムをなくして。 前の学校では、なぜだか人のものをとってしまう子がたくさんいて、 頻繁にモノがなくなりました。 わたしの名前が書いてあるノートを、 名前の字を黒く塗りつぶして別の子がいつの間にか使っていたりし