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02 立ち食いそばは蕎麦じゃない

 ご存知の方もいるかと思うが、ぼくが通っていた高校はビーバップハイスクールで、学校を周囲と区分けする校門&塀は無いも同然だった。
 どういうことかというと、普通の学校は余程の事情があるか、先生の許可でもない限り、就学時間中に学生が学外に出ることはない。そもそも校則で「本校の学生は終業の鐘が鳴るまではみだりに校外へ出てはならない」と規定されていたりする。
 ところが、我が母校は通行自由だった。
 いや、自由ってことはないんだが、校門から外へ出たところで誰にも怒られない。遅刻して堂々と正門をくぐる奴を咎める教師はいないし、塀を乗り越えて勝手に早退する奴を引き止める風紀委員もいない。もう行ったり来たり。
 ぼくは不良というわけではなかったけれど、まあ遊び盛りの男の子なので、昼めし前には腹が減る。家から弁当を持って行くこともあるが、冷えた弁当は食いたくないので学食を利用する。でも、うちの高校の学食は食事ができる場所ではなくて、購買部で買ったパンを食べるだけのところ。で、パンも連日となると飽きてくる。
 そこて、塀を乗り越えるのだ。塀を乗り越えて、学校の近所にある「あたりや」という蕎麦屋に行くのである。看板には的(まと)の中央に矢がトンと当たった図案が描いてある。つまり「当たり矢」の判じ物。
 そのあたりやはカウンターしかない蕎麦屋で、メニューはかけそば、たぬきそば、きつねそば、月見そば、天ぷらそばくらいしかない。いちおう椅子はあるけれど、メニュー構成からわかるように駅の立ち食いそばと同じようなもんだ。
 ところが、あたりやには「納豆定食」があった。納豆とご飯とかけそばとお新香。それでいくらだったかな。たぶん300円くらいだったと思う。高校生にも優しいお値段。これが食べたくて、ぼくはしょっちゅう仲間と学校の塀を乗り越えていた。

 学校があったのは葛飾区の金町。当然、駅前やその周辺に立ち食いそば屋がある。そして、町なかにも通常の蕎麦屋がある。ぼくは、ここまで意図的に「そば屋」と「蕎麦屋」という言葉を使い分けていたが、ぼくの認識では、駅の立ち食いは「そば屋」で、町なかにあるそれは「蕎麦屋」だ。このニュアンスの違い、わかってもらえるだろうか。
 店によって多少の違いはあるだろうけれど、「蕎麦屋」は手打ちの蕎麦を客の注文が入ってから茹でて、冷水で〆め、提供する。立ち食いの「そば屋」は、すでに茹でてある(もしくは蒸してある)茹で麺をお湯にくぐらせて温め、つゆをかけて提供する。だから早い。
 当然のように、蕎麦屋とそば屋では味わいが全然違う。どちらが美味くて、どちらが不味いという話ではない。同じ「そば」でもぜんぜん別の食い物なのだ。
 で、好きなのは言うまでもなく「立ち食いそば」の方だ。ぼくは江戸っ子のくせしてまったく蕎麦っ食いじゃないが、大の「立ちそばっ食い」なのである。この違いを自覚するようになったきっかけが、「そば屋」と「蕎麦屋」の境界に位置する「あたりや」に通っていたことだったのだなと、いまさらながらに思う。

 いま、関東の駅の立ち食いそばは、かなりの勢いで「いろり庵きらく」に侵食されている。
 いろり庵きらくというのは、NRE(日本レストランエンタプライズ、現JR東日本フーズ=JR-Cross)が運営する一大立ち食いそばチェーンだ。大資本を武器にどんどん出店している。既存店もどんどんいろり庵に入れ替わっている。南浦和駅構内にあってお気に入りだった「めん処 一ぷく」も、駅構内の改装工事に伴って閉店し、跡地にはいろり庵きらくが入った。こうした現象を、ぼくはキラアク星人イロリアンによる地球侵略だと捉えている。実に由々しき問題だ。
 いろり庵の何が嫌だといったら、立ち食いのくせして「そば」を「蕎麦」に近づけようとしていることだ。そう、「そば」と「蕎麦」は違うのだ。
「何言ってんの? いろり庵って美味しいじゃない」と思う人は、このエッセイは馬鹿が書いたものだと思って通り過ぎてください。とにかくぼくが駅で食べたいのは、お上品な蕎麦もどきではなくて、ボソボソの、太麺の、つゆが真っ黒で、ほとんど醤油の味しかしないような、関東の駅そばなのだ。そういう意味で、ぼくは「小諸そば」も「いわもとQ」も「嵯峨谷」も「文珠」も好きじゃない。

 ぼくにとってソウル立ち食いそばと言えるものが二軒ある。
 ひとつめは金町駅の近く、高校時代のぼくが足繁く通っていたゲームセンターの斜向かいにあった店。黒くて、ボソボソで、とにかく大好きだった。たぬきそばを頼むと、揚げ玉までつゆで真っ黒に染まった。ゲームをするのと、そこでたぬきそばを食うのはいつもセットだった。
 もう一軒はゲームデザイナーになってから、京王線と南武線が交差する分倍河原駅の通路にあった店。そこもつゆが黒くて、ボソボソで、バカみたいに美味かった。何杯食ったか数えきれない。打ち合わせに向かう途中の乗り換えでちょうどよく腹が減るように、いつも食事量を調整していた。
 でも、この二軒、どちらの店もすでに存在しない。
 いま、あれと同じようなそばが食べられる店は、都内だと日暮里の「一由そば」、あとは日暮里、須田町、人形町に支店をおく「六文そば」くらいだろうか。マニタ書房をやっているときは、出勤前によく須田町まで足を伸ばしてゲソ天そばを食べに行った。
 いまは自宅で仕事をすることが多いので、それらの店に行ける機会もガクンと減った。立ち食いそばは、毎日の通勤経路にあるからこそ意味がある。「どこそこの駅の立ち食いが美味いですよ!」と教えられても、それが自宅から遠ければ意味がないのだ。
 いま、ぼくの自宅最寄りのJR馬橋駅には「兎屋」という店がある。ここはボソボソ、真っ黒、とまではいかないが、ポソポソ、やや黒くらいで、ぼくの好みの許容範囲内だ。贅沢を言わず、このくらいのささやかな幸せで満足しておくのが、ストレスなく生きられる秘訣なんだろう。……とはわかっているが、イロリアンの侵略だけは撃退したい。

※画像は「六文そば」のゲソ天そば。ああ食べたい。

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