39 胃もたれ無縁のカレー茶漬け
小学生時代の給食で何が好きだったかは、鉄板の懐かし話だ。揚げパン、ソフト麺、ミルメーク、鯨のノルウェー(竜田揚げ)……。挙がっている名前がいちいち昭和なのは、昭和生まれなんだからしょうがない。
ぼくが特に好きだったのは、カレーシチューである。カレーライスではなく、あくまでもカレーシチュー。めしにかければカレーライスになるが、そのまま食えばカレーのルー。それを強引に「シチュー」と言い張った昭和の食文化。
昭和40年台後半あたりまでは、都内の学校給食でごはんが出ることはごく稀で、ほぼ毎日食パンだったことは当時の食糧事情を調べてみれば明白だ。だから、カレーもごはんにかけて食べるのではなく、あくまでもパンに添えられたおかず(シチュー)として食べる。
スプーンですくってそのまま食べてもいいが、ぼくは食パンを千切ってシチューに浸して食べるのが好きだった。誰が最初に始めたのかは知らないが、みんな真似してやっていた。
食パンにはマーガリンも付いていたのだが、ぼくはそれをパンには塗らず、カレーシチューの中に溶かし入れて食べていた。そうするとカレーがまろやかになって、より美味しく感じられたのだ。まだ、辛口カレーなど食べたいとは思ってもいない、子供舌だった頃の話だ。
世間一般の認識として、子供はみんなカレーが大好きと思われている。ぼくもまあまあ好きな方ではあったが、胸を張って「大好き」と断言できるかといえば微妙なところだ。そこにカレーがあれば食う。なければ無理して求めはしない。
なにより、ぼくはカレーライスを食べると8割、9割の確率で消化不良を起こす。食べてから半日くらいはずっと胸がムカムカして、落ち着かない。カレーライスを食べたことを後悔する。
カレーに含まれる油がいけないのか、皿にどっかりと盛られたごはんの量がいけないのか。いや、ルーだけ食べてもなんともないのだから、油は関係ないかな。
もちろん、とんこつラーメンと同様でカレーにも罪はなく、すべてはぼくの脆弱な胃袋がいけないのだ。とにかく、カレーライスを食べるとテキメンに人として使い物にならなくなってしまうから、どうしてもカレーを食べたくなったときは、それ相応の覚悟を持って望むことになる。
さて、そんなぼくの認識をガラリと変えさせたのが、スープカレーの登場である。
いまさら説明するまでもないと思うが、スープカレーとはルーがシャバシャバのスープ状になったカレーのことだ。より正確な定義はカレーの専門家にお任せするが、Wikipediaには〈1971年に札幌市に開店した喫茶店『アジャンタ』が1975年ごろに発売した「薬膳カリィ」が原型と言われている〉とある。
本場インドのカレーにもシャバシャバで汁気の多いカレーはあるが、いわゆる「スープカレー」というメニューは札幌がルーツと判断してよいだろう。
ぼくがスープカレーという存在を知り、初めて口にしたのは、ゲームフリークが下北沢にあったときだ。スープカレーの名店と言われた「マジックスパイス(通称マジスパ)」が東京に進出し、当時会社が入っていたビルの裏手に支店を出したのだ。
昼休みにみんなで食べに行き、まずはそのビジュアルに驚いた。カレーは深い皿に盛ってあり、底には骨付きのチキンレッグが沈み、周辺をザクザクと大ぶりに切られた野菜が彩っている。その上には、瀬戸物を発送するときの梱包材のようなよくわからないものがふりかけてあった。
辛さは「覚醒<瞑想<悶絶<涅槃<極楽<天空<虚空」の7段階あり、食において冒険をしないぼくは無難なところで3番めの悶絶を選んだ。
恐る恐るひと口食べ、何よりその不思議な味わいに魅了された。確かにカレーの味はするけれど、これまでに食べてきたどのカレーとも似ていない。
ごはんは別皿に盛ってあるので、カレーをごはんにかけながら食べてもいいし、逆にごはんをカレーの中に入れてもいい。
スプーンですくったごはんをカレーに浸し、シャビシャビになったところを口に運んだ瞬間、ぼくは気がついた。そうか、これはカレー茶漬けだ、と。そしてシャビシャビごはんが胃に優しいのか、スープカレーでは消化不良を起こさなかった。
以来、スープカレーはカレーライスを差し置いて、ぼくの大好物のひとつとなった。
スープカレーのブームは、マジスパが都内に進出したことがきっかけだったのは間違いないだろう。下北沢には「心(こころ)」という店も出現し、ここにもよく通った。
神保町はカレーの激戦区だが、「ボンディ」「エチオピア」「共栄堂」など大半の店が胸焼け系カレーライスで、ぼくはオロオロしてしまう。唯一の救いはスープカレーの「鴻(オードリー)」だ。客席に謎の段差があるのがおもしろい。
新宿へレーコードを探しに行ったときは新宿三丁目の「東京ドミニカ」へ行く。ここは店内が薄暗く、カウンター下の荷物置きが微妙な高さなので脛をぶつけに用に注意したい。
札幌までブックオフ巡りに行ったときは、現地の友達におすすめのスープカレー屋を教えてもらい、「MIRCH(ミルチ)」というインド系の店で食べた。
カレーライスには無数のバリエーションがあるように、スープカレーにもたくさんのバリエーションがある。普通のカレーのルーをただ薄めただけのような店もあるが、ちゃんと美味しい店にはそうではない何かがある。とくにマジスパのカレーはどこの味にも似ていない中毒性がある。あの辛さレベルのネーミングを見た感じ、何やら秘密の粉でも入ってるんじゃねえのか~? と、勘ぐりたくなってしまうよね。