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11 湯河原での思い出の顔ぶれ

西村京太郎さんが亡くなった。1961年に『黒の記憶』でデビューして以来、十津川警部シリーズで一躍人気作家となり、生涯を通じて680冊を超える作品を残された。ぼくは熱心な西村読者ではなかったけれど、数冊は手に取り、それなりに楽しませてもらった。

西村さんの終の住処となった湯河原には、『桃太郎電鉄』の仕事をしていたときに何度も行った。西村京太郎記念館の近くに、さくまあきらさんの別宅があったからだ。旅行好きのさくまさんは、トラベルミステリーの大家である西村さんをとても尊敬しており、記念館にもよく立ち寄っておられた。

ぼくは西村さんと直接お会いしたことはないが、湯河原という町のことを考えると、まず、さくまさんの顔が浮かび、次いで西村さんの顔が浮かぶ。

西村さんがお酒を飲まれる方だったのかはわからない。死因は肝臓ガンだったとのことだが、お酒を飲まない人でも肝臓ガンにはなりうる。毎日のように飲んでるぼくのような人間は、間違いなく肝臓ガンで死ぬだろう。覚悟はしている。

さくまあきらさんがお酒を飲まないことは、よく知られている。その代わり、というわけではないだろうが、おいしいものを食べるのが大好きで、日本全国のご当地グルメを食べ歩いてきた。その膨大な体験と知識を基にして生まれたのが『桃太郎電鉄』であることは言うまでもない。

『桃鉄』チームに加入して何より嬉しかったのは、やはりお食事会だ。会議が終わると、さくまさんはいつもチームのメンバーにおいしいものをご馳走してくれた。会議は湯河原の別宅で行われることも多く、そのときは当然、湯河原や熱海の名店に連れて行ってくれる。さくまさんはご自分がおいしいものを食べるのと同じくらい、若いスタッフがおいしいものを食べて喜んでいる姿を見るのが好きなのだ。

ぼくがいちばん感動したのは、湯河原「しらこ」で食べた金目鯛のしゃぶしゃぶだ。飲まないさくまさんの手前、いつもお酒はビールくらいで控えめにしておくのだが、こればかりは日本酒を飲らないわけにはいかない。熱海「葵」で食べたきんきの煮付けは、日本酒はもちろん酎ハイにも合う。湯河原「鳥助」の鳥ごぼう釜飯は、飲んだあとの締めに最高だ。

食事を終えたら解散。でも飲兵衛のメンバーはまだまだ飲み足りない。そこで、まずは一旦解散して各自の宿泊地へ向かう。ハドソンのスタッフは会社から経費が出るので熱海のホテル。井沢ドンちゃん、石川キンテツ、ぼくといったフリーランス組はさくまさんが所有している熱海のマンションを宿泊所にさせてもらっていた。そこでシャワーを浴びるなどしたら、あらためて熱海の駅前に集合する。

しかし、熱海というのは昼間は賑やかな観光地だけど、夜になるといきなり静寂に包まれてしまう。いまはどうかわからないが、少なくとも当時はほとんど店がなかった。せいぜい駅前にあるのは「笑笑」くらいのもんだ。それでも、『桃鉄』チームのみんなと飲む酒はいつも楽しい酒だった。

湯河原に話を戻す。湯河原といってもう一人思い出すのが、巻上公一さんの顔だ。

いつものように『桃鉄』会議に出席するため、湯河原へ向かった。駅からしばらく歩いてさくまさんの別宅を訪ねると、作詞家の小室みつ子さんがいた。それはそれで驚くポイントでもあるのだが、さらに驚いたのは、それからしばらくして巻上公一さんもやってきたことだ。どうやら、小室さんが友人の巻上さん(湯河原出身・在住)に、いまこっちへ来ていることを知らせていたらしい。

ぼくはもちろんヒカシューの大ファンだし、ほんの数ヶ月ほど前にもヒカシューのステージを見てきたばかりだったから、驚きは一層だ。この偶然にはさくまさんも驚いていた。

そんなわけで、ぼくは湯河原といえばまずさくまあきらさん、次に西村京太郎さん、そして巻上公一さんという三人の顔が浮かぶのだ。実に不思議な組み合わせである。

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