2023年振り返り
2023年の振り返りを書こう書こうと思っていたら3ヶ月くらい経ってしまった。記憶が薄れないうちに書き残しておきたい。2023年は大学卒業(修了)と社会人生活のスタート、節目となるイベントが多い1年だった。
修論発表
2023年の初めは、2月に修論発表という一大イベント?を控えていたので、研究進捗とプレゼン準備に、身を粉にして取り組んでいた。一大イベントと表現したのは個人的に理由がある。それは、「人前で詰められる」といった事象に対する過去のトラウマ的な記憶を塗り替える機会でもあったからだ。遡ること6年前、大学のサークル活動の中で大勢の前でプレゼンする機会があり、衆人環視の中で2日間も長時間、徹底的に詰められるという体験をしたことがあった(実話)。何を言っても、何を行動しても全てが裏目に出るので、最終的には何も言えなくなって子犬のように震えていた。そのような記憶が、精神の底に沈澱したままとなっていたので、それを克服するための挑戦でもあった。追加でプレッシャーがかかっていたことは、指導教官が不安を煽るようなコミュニケーションを取る人だったことだ。「ここちゃんとやらないと、あの先生に色々言われちゃうよ」といったことを日頃から言われていたので、「運命の日」に対する不安と緊張が増強されていった。
当日を迎えるにあたっては、本命を控えた受験生の如く、前日は大学の近くのホテルに宿泊して準備に臨んだ。私の発表順番は幸い?朝一だった。逆らうことの出来ない本能的な、反射的な不安と緊張といった肉体反応は、明くる時まで覚醒を維持し続けた。そのまま一睡もすることなく(万が一寝落ちしてしまうと、疲労感もあって寝落ちしてしまうリスクを考慮)スーツを着こなし、30分前に指定の部屋に入り、瞑想することとした。ゾロゾロと大学教授たちが入ってきたのだが、こちらが挨拶をしてもそっけない反応を返すのみであった。もっとフレンドリーに接してくれても良いのに😭。そしていざ時間が始まってみると、発表練習の甲斐もあってか、機会的に台本を読むような感覚で発表タイムを終えることができた。その間、一部の先生は頷きながら発表を聞いてくれたことも視認することがき、胸が熱くなる思いがした。
実は発表は、媚びることを意識していた。発表会場はいくつかに分かれており、事前にどの先生がどの部屋を担当するのかを知らされていた。5人の先生が各部屋にいたのだが、分野の近い先生が少なくとも一人はいるシステムだった。なのでその先生を味方につけることができれば、優位に場を持っていけるのではと考えた。その先生がインターネットに公開しているHPやスライドを見て、表現や言葉遣い、考え方に沿うように台本を用意した。その甲斐もあってか、質疑応答タイムで他分野の先生から「研究の意義は?」のような質問に窮していると、その先生は助け舟を出してくれたのだ。大感謝🙏。
そんなようなこともあって炎上することなく、時間通りに発表を終えることができた。積年の肩の荷が全て降りたような、心地よい脱力感に包まれた。その後、同期の発表も順に終わっていき、ある人は「あの先生にめっちゃ詰められたよ。時間も30分くらいオーバーした。研究そのものは何の意味があるのか?とめっちゃ問い詰められた」と言っていた。その部屋には、村社会の中では有名な、昭和の香り漂う厳しい先生がいたのだった。私の部屋はそこまで厳しい先生がいなかったのは幸いで、部屋によって当たり外れがあるよね〜という話をしていた。修論発表部屋ガチャである。
そのまま順調に全てから解放されたと思っていたのも束の間、先生たちの合否会議の結果、私の部屋の発表者全員"のみ"、先行研究との比較を加筆せよとの宿題を課されてしまったのだ。青天の霹靂、指導教官に話を聞いてみると、「あの先生がそう言ったら誰も逆らえないよ。申し訳ないけど、よろしくね」とのことだった。なんだ、大学組織というのは結局権力者の鶴の一声で公平性の欠いたような決断も成されてしまうんだ。そんな稚拙で封建的な、旧態依然とした意思決定プロセスに辟易しながらも、最後の力を振り絞って加筆し提出した。これが本当に最後の大学での取り組みとなった。
色々と書いたが、総じて大学序盤のエピソードを5年越しに伏線回収することができたことは、結果として良い脚本となったなと感じている。
エンジニアとしての社会人生活スタート
そして4月からは社会人生活の始まりである。WEBエンジニアとして働き始めることは率直にワクワクだった。今の会社をファーストキャリアとして選んだ理由は、色々な機会、経験を積んで成長できそうだったからだ。具体的に、どのような取り組みをしたのかは以下の記事に詳しく書いた。
実質未経験の状態でスタートしたので、当初は経験年数の観点では組織の中では最下層であった。何も分からないといった状況を抜け出すことが急務であり、時間をかけて自習する以外にキャッチアップを進める方法は無かった。なので、早く軌道に乗せるために日夜足りない点を補強し学習を重ねていった。我ながらに意欲的に活動していた。その際に、意識していた点を以下の記事にまとめている。
1年の間に経験できたことを大雑把にまとめると、LLMの新規プロダクト開発、フロントエンド、バックエンド、インフラ、リプレイス、ブログ執筆、イベント企画運営、メンター業務etc,,,全ての経験から学べることがあり、毎週成長を実感することができた。新卒という立場でありながら、これだけ経験することができたのはとても幸運だった。会社によっては座学の研修が何ヶ月も続くといったところもあるようだが、自分は早く現場に出て活動することの方が有意義であると思っている。
機会や経験を得るということは、さらに上の機会や経験につながることを意味する。その良い循環に乗ることが、キャリア形成にとって最重要項目と言って良いだろう。しかしながら、これには環境ガチャの要素が大きいし、良い環境はもちろん競争率が高い。会社によっては、雇用が保障されているとは言うものの若手の間はExcelに画像をコピペする作業を永遠にやらされるといった話も聞く。どういった環境に身を置くべきかといったことは、メタ的な視点で常にもっておくべきであり、研鑽を続けないといけない。
機会や経験について考える一方で、Web系業界の開放的で利他的な、風通しの良い、心理的安全性を大事にする文化は、何にも代え難い福利厚生であることも実感した。この文化は先人たちの積み重ねであり、その恵みを享受できる良い時代にエンジニアになることができたことも、一世一代の幸運だったと思う。
昔はIT業界=ブラックの図式が成り立つイメージがあった。さらに、ガラケーやソシャゲと言った、世の中のなんの役に立つか分からないような仕事を、大人の事情でやらざるを得なかったイメージもある。昔のIT業界を表した象徴的なブログを読むと、この辺のイメージが掴めると思う。
私は、物事に目的意識や意味づけができないとモチベーションが保てない性格である。なので、生まれる時代が十数年早くエンジニアをやっていたとしたら、過労と合わさって適応障害を起こしていたかもしれない。現代は、米国に追随するような形で日本も従来のIT業界の商習慣に捉われないWeb系企業が台頭してきている。色々な社会課題や困っている人を助けられるようなアプリを、自分たちの手でブラウザやスマホ上に簡単に開発することができるわけだ。この時代の恵みを甘んじることなく享受していきたい。
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