そこから何を学んでほしいのか。
先日Sports day(運動会)がありました。
白熱の試合が繰り広げられ、勝ったり負けたりが繰り広げられ、子どもたちも喜びと悔しさに感情を揺さぶられた1日だったと思います。
さて、今回の競技は「台風の目」「玉入れ」「しっぽとり」「ドッジボール」「リレー」でした。これらの競技の中で、運に左右されるされる割合はどれくらいなんだろうとふと思いました。
どこまでが「技術」でどこからが「運」なのか?
ドッジボールでスタートのボールを決めるジャンケンは?3チームで行われる総当たり戦ではじめに2回連続で出場するチームに選ばれてしまったのは?審判の判定は?(教員がやっているため本当に正しい?)
でも、そもそもジャンケンに負けてボールが最初に手に入らなくても実力があるのであれば、勝てる?
総当たり戦で連続出場しても、もともと実力があれば勝てる?
実力があれば審判の判定でどきどきすることもない?
そもそもチームでの練習もそんなにしていないのであれば、当日は半分くらい運?当日楽しめればいいというのであれば、競わせる必要はない?じゃぁ、なぜSports day(運動会)を行うの?
私は、競っても楽しんでもどっちでもいい。
それぞれに目的があるのであれば。
ただ、目的をみんなで確認したのにそこに立ち返れないとか、結果だけみて終わりだとかはもったいないし、それはただのイベントでしかない。
教育者として、教育の上にこれらのイベントを立ち上げるのだとしたら、「目的に対して自分たちはどうしてきたのか」「結果をどう受け入れたのか」教育的視点で子どもたちが考えなければ効果的な学びにはならないのかな~と一人振り返りをしています。
協働的な学び(Collaboration)が取り上げられている中、「競う」というのはよくないことなのか?でも、世の中にスポーツは存在するし、競うから勝敗も存在する。勝った人が喜ぶと、負けた人がかわいそう。本当にそうなのか?
昨年、私の担当するチームが優勝した。
でも、すごく喜ぶ様子はなく、むしろ「勝たなければよかった」なんてことを言ってた。それは、相手のチームが泣いていたし、「優勝いいな~」と言われたりしたかららしい。
実力で勝ったのか、運で勝ったのかはわからない。
でも、どんな状況でどんな結果がでたとしても、結果は結果。
もちろん、結果を作り出すための、ルールだったり、得点方法だったりはしっかりと示さなければいけないけど、その結果をどう受け止めて次に繋げられるかは重要なポイントだろう。
最後に、高学年の子と話をしたら、
「もちろん勝ちたいは、勝ちたい。でも仕方ないよ。だって練習してないもん。もしかして相手に不正があったかもしれないし、なかったかもしれない。でもその勝利の真価は手にした人が分かるのであり、とやかく言っても仕方がない。だったら、今のこの結果をどう自分の中で解釈するかでいいと思う。」
さすが!やっぱり考えているな~と思いました。
結果に左右されて自分がダメになるよりも、結果に対する視点を変えてとらえることによって自分のプラスへもっていける力。これが全てではない。
学びはずっと続いている。そういう目で見られたら、世の中ずっと楽になるのかな~なんて思っています。
「競うこと」はある種の動機付けにもなる。
だから、悪いとは思わない。
ただ、その取り扱いに気をつけなければいけないのだろう。
もしかすると全ては教師の戦略に掛かっているのかも知れない…。