#0023 映画#1 光のお父さん
FF世代としてはずっと気になってた映画。1999年からの発売ラッシュ、FF10,10-2については今でも熱く語りたい。
2006年、FF12が発売されたのは忘れもしない私の誕生日。システム屋時代で火を吹いてた頃にも関わらず、皆競ってプレイし、毎日進捗を報告しあっていた良き思い出。私も終電で帰って朝4時までプレイしては会社に行ってました。
そしてその間の11。ネット民、ゲーム民だったけれども、ソフトとは違うオンラインの終わりのなさ、会話、待ち合わせなど、ゲームに主導権取られるのが嫌で早々に手を引いたのですが
反面、没頭する夫。 がっちりゲームに人生の主導権とられてる!ゲーマーの域を越えたキーボード操作!!画面に吹き荒れるログ!!!戦闘音で気が狂いかけ、我が家では戦争勃発。ゲーマーに、これやばいゲームだなと思わせるゲーム、それが私のオンラインゲームの印象でした。
で、やっと映画に戻る。映画のはじめの戦闘シーン。もう14だけど、音を聞いた瞬間、トラウマ的イラっ!でも小ネタが笑える。
がしかし、このお話はゲームが主ではない。あくまで父と子のコミュニケーションのお話。もう、周りみんなビェンビェン泣いてたよ、あの涙って子供の頃の自分への涙だよなービェンビェンだもん。
我が家の父もまさにあんな人で、もう何考えてるかわかんないし、いっつも不機嫌だし話しかけてくれないし、話しかけてもほとんど答えてくれないし。
もう緊張と緊迫の人だったんですけど、でも時折の笑った顔や機嫌の良い日、父となんか会話できた日って、すっごく嬉しかったんですよね。
あと、すっごく私と弟のことは大事に思ってくれてるってことも、その態度の隙間から感じ取れるのが不思議でした。めっちゃ怖いしなんか怒ってる、でも私たちのことは好きなようだ。というのが、弟との共通認識でした。
今あの頃の父と同じ年頃になって、周りの同世代の男性を見てると、不思議なのです。彼の不機嫌さ、不器用さってなんだったんだろうって。
時代とか父たるものとか、ほぼチンピラだった彼が私たちを養うためにどれだけのプライドを捨てて働き続けてきてくれたことかとか
考えりゃそりゃたくさん理由はあるんでしょうが、それは父の物語だと思う。私が勝手に推測することではない。
ただ、この映画を観て、愛とか云々とは別に、絶対的に越えられない「親子というそのものの壁」がある私たちのような親子に、こういう橋渡しがあるんだねという夢をもてた。
これからもきっと面と向かっては永遠に何十分も話すことなんてできないし、私たちがどんなにノックしても彼の男親であるスタンスは変わらないと思う。
でも、あんな風に何かを介してだったら、人間同士として、喋ってみることができたのかもしれないなと。
全部知りたいわけじゃない、でも親子である限り絶対見ることのできない他人としての彼を、私も知ってみたかったなと思う。
(まだ生きてます)
☺︎今日も総じていい一日だったなと思えたこと
美容院に行って髪が生き返ったこと。
昨日から画面半分が真っ黒になり残像満載だった11年目のテレビが、今朝から抜群な解像度で生き返ったこと。
二つも生き返りました。
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