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覚えておくことを諦めそうな私とあなたへ

「子育てはおもしろいから、たくさんメモしておいたらいいよ」

妊娠がわかったとき、ライターの師匠がそう言ってくれたのをきっかけに、私はnoteを始めた。実際、妊娠も出産も子育ても、めちゃくちゃおもしろい。身体の変化は摩訶不思議だし、子どもの動きは魔法のようにまったく予想がつかない。

そして書き始めてみたら、なにより自分の「心の機微」がおもしろいと思った。ぼーっとしていたら過ぎ去ってしまう感情を、時に丁寧に言葉にしてみて、ああでもないこうでもないと考えをこねくり回す。何に喜びを感じ、胸を締め付けられるか。親となった自分の心はどんなふうに揺れるのか。思わぬ動きをする子どもたちに対して、私の心も思わぬ動きをする。「私」という人間の新しい引き出しを開けてもらっているようで、日々がすっかりおもしろくなったのだった。

そのときの生の感情を閉じ込めた文章は、読み返すたびに、心が華やいだり揺れたりキュッと締め付けられたりする。まるで、小さな箱に心の一部をしまっておけるようだ。師匠の言うとおり、書き続けてきてよかったなあと思う。

そういえば、私は小さいときから「時が過ぎる」のを、たいそう怖がっていた。今でも覚えているのは、家族で楽しい時間を過ごしているときに、急に泣きたくなったこと。

「こんなに幸せな時間が、終わってしまうのが嫌だ」
「大好きなおかあさんも、いつかは死んじゃうの?」
「今はずっと続かないんでしょ」

そう言って泣いた。諸行無常を感じて泣く子どもなんているの?!と思うけれど、ここにいた(悟り)。すっかり大人になった今、たけのこの里をひとりで食べ切れる喜びすら知っている私は「楽しい時間を無駄にするなんて本末転倒すぎるだろ……」と、半ば呆れながら笑いたくなるけれど、ふと考えると、あながち今も変わっていないのかもしれない。

子どもたちの成長を感じるとき、ぎゅっと胸の奥が揺れる。それは「この楽しい時間が過ぎ去ってしまったら……」と切なくなっていた幼少期の揺らぎと似ている。「はやく大きくなってくれ。いや待て、やっぱりもうすこし今のままでいてもいいよ」と、小さな子どもたちを見ながら、いつも理不尽に祈っているのだ。

上手く喋れない言葉も、癇癪を起こしたときの大粒の涙も、笑った乳歯の隙間も。全部全部、それを心底愛おしいと思う自分の気持ちと一緒にしまっておきたい。忘れたくない、過ぎ去ってほしくないという気持ちが、きっと私は人一倍、強い。


そう言いながら、2人目が生まれてから日記もろくに書けていない。2人の子どもと向き合いながら記録までする時間も気力も、正直どこにもない。毎日を思う存分に堪能している証拠でもありながら、やっぱりどこかで「こぼれ落ちていく記憶」をどうにか掬い上げられないかと頭のどこかで引っ掛かりを覚えている。

「ダディに渡す」と握りしめた花がつぶれてしまったこと。
パンケーキの両面に「焦げ」がないことでブチギレた理不尽な朝。
久しぶりに出かけたら、すっかりつないだ手が大きくなっていたこと。

残しておきたい瞬間は、人生に溢れるほどある。忘れたくない瞬間がある。だから、大切な誰かの心の機微を、忘れたくない記憶を残すプロジェクトを作っている。「残すために書く」という、人類がずーっと繰り返してきた基礎中の基礎みたいなことを今更、改めてサービスにしているのだ。

愛しい我が子が生まれた日の記憶。結婚するふたりの出会いの記憶。いつか先にいなくなってしまう誰かの記憶。

大切な記憶をインタビューして、1冊の本にする。まるでその人が語りかけいるように、言葉を綴って。その言葉が詰まった本は、きっと記憶や感情を閉じ込めた小さな箱なんだと思う。私は自分の箱もたくさん作りたいし、せっかく文章が書けるなら、「ほしい」と言ってくれる誰かの箱も一緒につくりたい。


別に、残すことがすべてじゃないけれど。生きている今この瞬間を大切にしていることのほうが、記録することに囚われるよりよっぽど重要だし、記録することを優先して大切な今を逃したら、それこそ本末転倒だと死後の自分に笑われてしまう。

日記は空白が目立つ穴ぼこだらけのまま、「ああ今週も過ぎてしまった」と思いながら眠気に耐えられずに朝になる。noteに下書きがどんどん溜まっていくまま「あれ、何を書こうとしたんだっけ」と頭が真っ白なことに気づく。それでもいい、しょうがない。それだけ精一杯生きているのだ。

それでも記憶や感情を残しておこうとする、私とあなたへ。

できる限り、箱を作ってみようじゃないか。心のシャッターを切る瞬間、なんか覚えておきたいと思った瞬間を、走り書きでいいから箱に詰めてみよう。箱を覗いたら、景色や匂いや光や気持ち、きっといろんなことを思い出せるから。自分のために残したもので、もしかしたら誰かを救ったり、まだ見ぬ未来に何かを伝えることだってできるかもしれないのだから。

だから、私は今日も「書く」のだなあと思う。覚えておくことへの執着は、未来の自分や子どもたちへのプレゼントなのだと信じて。


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