私も「そこにいる人」を伝えたい。だから書く。
「本当に辛いのは、『私たち』が世界から無視されていること」
フォトジャーナリストの安田菜津紀さんの講演会に行った。この言葉は、安田さんが取材した戦場の人々から言われたものだそうだ。
フォトジャーナリストの安田さんは、医療行為などはできない。直接的に誰かを助けることができないもどかしさを感じながらも、安田さんが現地へ赴いて写真を撮り続ける理由。それは「そこに人がいる」という事実を伝えるためなのだ。
娘を連れて講演会に参加した私は、グズる娘を抱きながら出たり入ったりしていたのだけれど(安田さんを始め、みなさんとても優しく接してくださいました)、この言葉は大急ぎでメモした。
おこがましいけれど「私も同じだ」と思ったから。
私が児童労働・低賃金労働を知ったのは、大学生のときだ。子どもでも大人でも、私たち先進国の物(カカオやコーヒー、コットンなど)を作るために搾取されている人たちがいることを知った。衝撃だった。
私が「授業だりーなー」と言っているあいだに、自分よりも幼い子どもが家族のために働いているという事実。私がたいして進路も真面目に考えず、未来にいくつも選択肢があるのが当たり前だと思っている頃、私の身の回りのものを作っている人たちには「夢を抱く」という機会すら与えられない。
その人たちにも家族がいて、生活があるはずなのに、知らなかった。考えたことすらなかった。彼らは、夕日を見てきれいだと思うんだろうか、大切な人と笑い合うことがあるんだろうか、夢を持つことなんてできるんだろうか。
日本という恵まれた国に生まれただけのラッキーな私は「無知」であるが故に、彼らを「人」として認識することがなかったが故に、彼らを搾取して傷つける一端を担っていたんじゃないか。その可能性が苦しかった。
だったら。恵まれた環境のおかげで培った力を彼らのために、「生まれた場所が違うだけ」で起こる格差のために、使うべきだと思った。若い10代の綺麗事だとしても。
そこに日々を生きる「人」がいることを、もっと私たちは意識するべきなんじゃないか。そのために私に何ができるんだろう。アメリカやインドへ行ってみたり、製造業で働いてみたり、野菜の販売をしてみたり。遠回りのような、長い長い模索の末に、私はライターになった。
現在、私は職人さんやメーカーさんの取材を中心にお仕事をさせていただいている。日本のものづくりにおいても、やはり、私が伝えたいのは「そこに作っている人がいる」という、当たり前すぎて考えることすら忘れてしまいそうな事実だ。
「日本のものづくり」は、それを一括で語られることが多い。「クール・ジャパン」であり、「匠の技」である。でも、もっとミクロな視点で「人」を知りたい、伝えたい。「それを作ったのは、ものすごい職人。だけど家に帰ったら、長湯と湯上がりの一杯が大好きなおじちゃんなんだよ」みたいな。私はそういうのが好きなんだよな。
高齢化や後継者不足などの課題を抱えるものづくり業界において「人を伝えること」で、何か貢献できることはないかとずっと模索している。
ライターなら商品自体の魅力をPRしたり、売るために記事を書く必要もあることは、ライターをしながらなんとなーくわかってきた。「生産者の顔が見える」は使い古されたものになり、「情報疲れ」「ストーリー疲れ」が起き始め、消費者は良くない意味で「物の向こうにいる人」の話に慣れてしまったとも思う。
ましてや、そんな「生産者」が、朝何時に起きるか、子どもがいるか、夕食にどんなものを食べるか、そんなところまで意識する人は少ない、っていうか興味がない。そこに「人」を感じたいと思うのは、私だけなのかもしれない。きっと私は変わっているのだ。でも自分の仕事や働き方は一生懸命考えるのに、自分の物を作っている人の「働き方」や「人生」は考えないのかな、なんて思ってしまう。
彼らの人生に、大きなニュースやドラマチックな出来事があるわけでもない。ただ「作ること」が彼らの「働き方」であるというだけ。それは彼らの人生の一部であり、大切な仕事であり、家族を養うための稼ぎでもあるということ。そんな当たり前のことを伝えたいと思うのは、仕事にはならないのかもしれないなあ、とも思う。
それでも、私は「そこに人がいる」という温度をそのままに伝えていきたい。そんなライターがいてもいいのかな、と今はそう思っている。それがきっと、私にできる国際協力だと思うから。
名刺をね、新調したんです。
バナナペーパーのエコ名刺に「想い」を詰めて、知り合いの作家さんに似顔絵と枠のハンコを作ってもらいました。
自分を表す一枚。大切に一枚ずつハンコを押そうと思います。
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