「ギフテッド教育」への違和感。
こんにちは!
本日も備忘的に。
弊社は稲城市でフリースクールを運営しています。たまに保護者様から「おたくはギフテッド教育はやっていますか?」という質問がきます。
ギフテッドについては、下記ご参照ください。
実際、うちのスクールでも「ああ、IQ高そうだなー」という子はいます。もしかしたら130超えているかもしれないので、その場合はギフテッドに該当するでしょう。その意味では、うちのスクールにギフテッドの子はいます。
ただ、これはうちのスクールだけではなく、どこのフリースクールにも一定数、ギフテッドの子はいると思います。
一方、うちは特に「ギフテッド教育」は行っていません。民間サービスのなかで、ギフテッド教育を行っているところも、あまり見かけません。もしかしたら、これから増えてくるのかもしれません。
私が大事だと思うのは、その子どもの「得意な部分」も「不得意な部分」もトータルで知り、必要な教育環境を整えていくことだと思っています。ギフテッド教育に対して違和感を感じるのは、とにかく「得意な部分」に焦点を当て、不得意な部分にあまり目を向けていない点です。同時に、なんか「排他的」な感じもしますよね。ギフテッド教育を受けて、その子は他の子どもや人の気持ちを分かる大人になるのかな?とも思います。これは教育観も絡んでくる話ですが。
同時に、うちの子は「ギフテッド」というのは、保護者自身を守るための「方便」でもあるのではないでしょうか。多くの場合、そのようなことを質問してくる親御さんは「子どもの不得意な部分」にはあまり目を向けていません。悪いのはうちの子ではなく、環境です、みたいな考え方が透けて見えます。これはもちろん一般化はできませんが、事実としてあると思います。もちろん、自分の子どもが「発達障害」という事実を受け入れるより「ギフテッド」だと理解したほうが、はるかに受け入れやすいです。でもそれって、事実の半分しか見ていないのでは?と思います。
だらだらと書いてしまいましたが、本日は以上!