欲望の素直にはなれない
ズル休みを一度でもすると、休み方を知りズル休みの際限がなくなってしまう。これは、私の経験から、そうおもっているのだけど、今日、初めて、ズル休みをした。有給休暇を使用したので、正確にはズル休みでも、無断欠勤でもないのだけど、朝起きて、布団の中で、行動する熱意がなくなってしまった。
無理やり出社することがどれだけ偉いのか、無駄な熱意を持った人間にとっては、甘えだというのかな。私もそうだったけど、それは、他人に向けた感情ではなく、自分自身の戒めのためだった。ズル休みしないために自らを強く縛ってた。
でも、実際、自ら縛り続けていると、いつか爆発する。皮膚が擦れ、縄に血が滲み、骨肉を裂く。その爆発まで待つのかな。死んじゃう人っていうのは。
欲しいものはと聞かれて
行動についての欲望もそうだけど、日頃から強い欲望を持っていないと、何をしたいのか、何がほしいのか、答えられないんだよね。それは、もう、私自体の個性がないんだよね。更に仕事も幼少期の夢を叶えられたから、これからの目標もまったくないので、欲求も熱意もかなり低い。
誰でも思いつく、車欲しい、美食を食べたい、お金がほしい。そんな面白くない欲望があったって、推進力になんかなりやしない。欲望がないと、生きてて楽しくもないし、働く価値もない。ボーッとしてるだけだ。ウンコ製造機。欲望がファンタジー世界に広がって、異世界転生できると思って、自殺する人もいそうだよね。
欲望ってなんだろう
物欲がない私にとっては、ただ金を使うだけがストレスのはけ口になる。ものを所有することや、やりたいことがある、というのが、欲望とは思っていない。おそらく、仕事をやめることも、人を苦しめることも、引きこもることも、全てが欲望。ズル休みも罵倒も投げ出すことも欲望。
生きてて、本当にバカバカしく思うのは、欲望のまま生きている人間を疎ましく見ている自分自身。自らに嫌悪感を抱いてしまう。欲望がないことじゃない、欲望のままに生きている人になぜなれないのか、なぜ原動力にならないのか、同じ人間なのにね。結局の所、他人をベンチマークしてるから、不快になり、自己嫌悪に落ち着く。欲望の通りに行動できるということは、おそらく、私よりも高度な活動ができているということ。一歩が踏み出せているということ。
「偽りても賢を学ばんを、賢といふべし」に習えば、欲望の強い人間のマネをすればどうにかなりそう。けど、たかがズル休みでさえできない私が、ある日仕事をやめて、あることに挑戦したり、バックパッカーになったり、起業したりなんてことは、できないのだ。ただ成功してるやつをみて、指を加え、羨ましがり、陰日向で影を貪り横たわる。
そんな私が、今日は、ただ、怠いし気力がないし、という理由で、ズル休みをした。この一つで、人生が変わると思えるかが、今後の生き方に影響を左右する。バタフライエフェクトのように。
きっと、なんでもいい。なにか一つでも、性もない、価値のない、理由もない、欲望のような、身勝手な行動ができれば、行動範囲が広がる気がしている。面倒くさいことを放り投げ、無視してみると、楽になるのかな。
もう少し、自分の中にある欲望を考えてみる。なにかしてみる。
欲望のない誰かに刺され。