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主役は誰ですか?
僕はバイクの整備士をしています。
最高の2番手になりたかったから。
今はいろんなことを感じ
知ってきたから
何かに困っている人の相談に乗ったり
バイクの運転のアドバイスをすることも
仕事にしています。
やっぱり僕は主役を引き立てる
2番手を選んでいます。
でも写真を撮ることを意識しだしてから
少し変わってきました。
それは…
何が主題?
写真のことを学び始めてから
「主題」という言葉が気になり始めました。
何を写真の中で表現したくて
何が表現の主にしたいのか。
分かりやすく写真の真ん中に
主題がある写真もあれば
何を表現したいのかわからない
写真もあります。
僕の理解力と作者の表現力が
合わないと感じられないのかも知れません。
主役は誰
写真と同じで
見る側と見られる側で
感じるものが違えば
主役は誰かがわかりません。
見る側の主観に委ねられます。
最高の2番手
支える側の最高の人になりたい。
この表現自体も僕の中だけのもので
あなたにはわかりにくい表現ですか?
支える側の1番ですもんね。
主役になりたくないと願いながら
1番を目指している。
自分の人生の中の主役
やっぱり自分の中では
自分以外は主役になれないんです。
自分以外の人の輝きに敵わないって感じても
それを自分の人生の真ん中に
据え続ける事はできません。
一時的にそう感じているだけ。
自分を大切にできていないと
人生の物語自身を続けられなくなります。
自分がやっぱり自分の主役なんです。
自分を成長させて物語を続けた方が
幸せを感じられます。
ものの見方を整える
自分が主役だからこそ
社会の決まりも取り入れる必要があります。
自分が属している社会の中で
幸せを感じるために
ルールに添ったものの見方を
できるようになりたいです。
ものの見方がズレていたから
僕は「最高の2番手」が
主役だと感じられずにいました。
「2番手」が主題ではなく
「最高」が主題なんです。
自分の感覚は気づくことを
求めないと社会を感じることができません。
感覚を整えるために必要なことは
難しいです。
何が社会のルールとズレているのかが
生きてきた中で明確に感じられていないからです。
多くの人たちの考え方にふれ
自分の考え方と違うと感じていても
それが違和感と感じられないと
わかりません。
僕は違和感があることは
すごく良いことだと思います。
生きづらいと感じていることは
ものの見方に気づけるチャンスだからです。
自分を肯定できます。
主役は自分です。
だけど他の人のものの見方を
理解してください。
生きづらさを改善するヒントがあるから。
一緒に幸せを感じましょう。