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私は、わたしのために今日もごはんを作る
「やりがい搾取」
数年前の大ヒットドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の
主人公がこう主張したシーンは、大ヒットラブコメディーだったはずのドラマの中で、どんなシーンよりも一番印象に残っている
需要と供給のバランスが取れているときには感じない
でも少しズレが生まれはじめると
私の心の中にモヤモヤと湧き出てくる、このセリフ
主人公はよく「私は小賢しい人間だ」と言っていたが
この「やりがい搾取」に関しては、
小賢しい云々に関わらずみなが一度は経験したことのある気持ち
「日本人あるある」ではないだろうか
なんでもYESマンで受け入れた仕事
何とかスケジュールをやりくりして受け入れたのに、
隣のあの子は早々に「今日は予定があるので。引き受けてくれてありがとう!」とアフターファイブに繰り出している
(今アフターファイブっていうの?)
「はあ~疲れた」と仕事から帰宅したパートナーが
テコでもソファから動かないのを一瞥しながら
いろんな思いをぐっと仕舞いこんで家事をする
たまにかけられる「ありがとう」にも素直に喜べない
「ありがとう」はもちろん嬉しい
嬉しいけれど「ありがとう」では片付かないモヤモヤ
これがきっと「 #やりがい搾取 」
ごはん作りが、自己満足で何が悪い
うちのレッスンでは「わたし」が主役
そう、今からキッチンに向かうアナタ
わたしが楽しい、わたしが美味しい、わたしが幸せ
それが叶った先に、「誰かに届ける」ということを考えても良いと思う
自己満足、と言われるかもしれない
でも、
ごはんを作る貴方が、幸せも楽しさも感じない義務的な料理を
誰かに振る舞うことのほうが、とてつもない押しつけ行為だと思う
そして今、
意外とこれをすっ飛ばしている人が非常に多いと思う
パートナーや子どもに喜んでもらいたい
SNSで素敵に写真を披露して、承認されたい
そこに最大の幸せを感じるのであれば問題ないが、
自分の気持ちをすっ飛ばしたうえで他の「誰か」に届けようとする行為は
ストレッチをせずにハードル走を走りはじめるようなものだ
すぐ躓くし、けがに繋がりかねない
忙しさにかまけて自愛することなしに、いきなり他者を慈しむのは
やはり少し無理がある
自己犠牲が美化されがちな社会だが
ここは敢えて自愛することを意識したい
(私自身も普段忘れがち、自戒も込めて。)
「楽しい・美味しい・辛くない」をモットーに
楽しい
美味しい
辛くない
これがごはんづくりで自愛するうえで、私が大切にしていること
あくまで主役は「わたし」
ごはん作りが楽しい
↓
出来上がったごはんが美味しくて嬉しい
↓
継続することが辛くならない
このサイクルを整えていくことで
ごはんづくりによって自分を労わる、自分と向き合う時間を確保できるように
その一助になれると良いなと思っています
さて、久しぶりに逃げ恥、読み返してみようかな
まなおおうちごはん 主宰 茉奈
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