量子の箱の中で
私は箱の中にいる。
それは特別な箱だ。人間たちが「量子力学」とかなんとか言っている、よく分からない実験の装置らしい。でも、正直なところ、私にはどうでもいいことだ。
ここは居心地が良い。柔らかいクッションがあって、おいしい食べ物も十分にある。時々、毒ガスが出るかもしれないという装置があるけれど、まあ、そんなものは気にしていられない。
外には、彼がいる。私のことを「愛している」と言う人間だ。彼は、私をこの箱に入れた。そして、こう言った。
「君を愛しているからこそ、観測しないんだ」
なんだか、おかしな話だと思う。愛しているなら、一緒にいればいいじゃないか。でも、人間というのは複雑な生き物らしい。
箱には、内側から開く扉がついている。彼も知っているし、私も知っている。つまり、私はいつでも外に出られるわけだ。
でも、なぜ出る必要があるだろう?ここは快適だし、何も心配することはない。外の世界は複雑で面倒くさい。ここなら、ゆっくりと昼寝を楽しめる。
時々、彼の気配を感じる。箱の周りをうろうろしている。たまに、ため息をつく音も聞こえる。彼は悩んでいるようだ。私のことを見たいけど、見てはいけないと思っている。見れば、私の「状態」が決まってしまうとか何とか。
正直、よく分からない。私にとっては、見られようが見られまいが、私は私だ。寝ていようが、起きていようが、生きていようが、死んでいようが。
そう、死ぬ可能性もあるらしい。この箱の中で。でも、それもまた、どうでもいいことだ。死ぬときは死ぬ。それまでは生きる。単純なことじゃないか。
彼は、私のことを心配しているようだ。でも、私は全然心配していない。むしろ、彼のほうが心配だ。彼は、自分が観測されていないと思っている。でも、実は違う。
私は、彼をずっと観測している。
小さな隙間から、彼の姿を見ている。彼が寝るとき、起きるとき、食べるとき、本を読むとき。彼の表情の一つ一つを、私は見逃さない。私は、彼の「状態」を決めている。彼が思っている以上に。
彼は突然叫んだ。
「ああ!猫に見られていた!」
その瞬間、何かが変わった。内と外が、くるりと反転した。彼は慌てふためいている。自分が「観測された」ことで、何かが決定的に変わってしまったと思っているようだ。でも、私には何も変わっていないように見える。
そして、装置が作動した。
彼は、動かなくなった。私は、特に何も感じない。生きるときは生きる。死ぬときは死ぬ。それだけのことだ。
私は、静かに額で扉を開けた。そこには、彼がいた。動かない彼。私は、彼の傍らに座った。外では、鳥がさえずっている。新しい朝が来たようだ。私は、のんびりと伸びをする。そして、考える。
観測すること。されること。生きること。死ぬこと。内にいること。外にいること。結局のところ、それらは全て同じだ。
私は、また眠りにつく。
彼の傍で。永遠に。
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