続・家族のルーティンを崩す勇気
さて、前回のつづきです。
同居中の家族たちとの夜の団欒を2日間すっ飛ばし、自分の部屋にこもったお話。
予想通り、両親から後日「 なにかあったの?」と聞かれ困ってしまいました。
聞かれて答えれることが、本当になにもない。
「社会の中で本音と建前の世界をぐるんぐるんと行き来して生きてきた大人たち」に対して「なにもないよ」という言葉ほどこわいものはありませんよね。わかります。
さて困った。
そこでじーーっと考えた末ドストレートに
「ふと1人になりたいときってないですか?」と伝えてみました。
そしたら両親は
義父「うんうん、わかるよ。わかる。けど、1人になりたいときはないなあ!ずっと1人みたいなもんやからなあ!ハハハ!」
義母「んーーー。仕事で出張に行くときとか?そんな感じなのかなぁ。」
との返答が。みんなちがう。
わたしは相手を目の前にすると自分の本当のところをうまく表現できません。特に言葉にしようとすると途端にもじもじしちゃうのです。くまだくんがアシストしてくれながらですが、両親に自分の性格をなんとか説明してみました。
・たまにバンっ!とすべてをシャットアウトして1人の世界にぐるんと入りたいときがある
・仕事の帰り道にテキトーなごはんを買ってひとりで食べたい日もある
・人と話さずにいたい日がある
・だからといってヒトを拒絶したいわけではない
自分をヒトという動物に例えて客観視し、習性を説明するような作業でした。
そして世代の違いもあるだろうけれど、意外とこの習性を理解してもらうのが大変だったのは驚きでした。
両親の顔にはどういうことだろう?と書いてありましたが、一生懸命わかろうとしてくれているようでした。(ありがとう…)
同居ってまさに社会の縮図をギューッ!と固めたような感じなんですね。両親とは特に世代も生きてきた環境や価値観もちがうから、お互いのことを話してスリスリとすり合わせてゆくことが必要です。
逆の場合もえー!そんなことってあるのー!知らなかった、その感情!など発見が多いです。
わからないことって恐怖に繋がったり、相手に対して理解できないことはイライラしたりしますよね。どこかでも聞いたことがあるけれどまさにだなぁ、でした。善悪とか忖度?とかジャッジ抜きで、わしはこういう習性なんやでーって伝えることが本当に大事。
でもこれは訓練がいることですね。
あんまり自分の意見を相手に言うってことしてこなかったです。
相手がわかろうとしてくれていたら相互理解するスピードは早いけど、そうでない場合はなかなか難しい。
あとは湧いてきた感情や願望をそのまま行動にして、始めは相手を戸惑わせてしまうかもしれないけれどやり続けると「あ、この人はこういう人なんだ。」と自然と慣れていってくれると信じています。
小さながまんってそのときは楽だけど、重なると人間関係ってこじれてくるだろうから。小さな勇気って大事。。
相手との関係が出来上がるまで、かなりの気にし屋さんのわたし。脇汗ダクダクの勇気でした。
伝わらんでもいいので、やり続けよう。チキンハートにはなかなかの勇気がいりますが、そう思えた出来事でした。
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