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悩み事をいったん放置するスキル

生きていてなんにもしていないつもりでも出てくるのは、息と体にたまった老廃物たち、そして、悩み。悩み。。


そんな悩みに対する向き合いかたに、いくつか気づきがあったので共有しようと思います。(完全個人的な体験のやつです)

まず悩みを観察


悩みが出てきたらまず、「ほう。ちみはどんな顔してんのかね?ほれほれ見せてみ?恥ずかしがらずに言ってみなさい?なにがイヤだったのかね?」と観察と会話をしてみたり。

そこで気づきが!


あら?悩みっていろんな種類あるやん。解決するまでにかかる時間がそれぞれちがうやんけ!と。(そりゃそうやでという誰かの声が聞こえる)

たとえばすぐ解決する悩み。今夜の夜ご飯なににしよう。これは早い。解決。1日もかからない。

あとは生きてるうちに解決するのか?と途方に暮れるくらいの悩み。
これ前世からのカルマですか?と今世中に片が付くのかわからないような潜在的な悩み。

もうこうなるとセラピーなみのやつ。抱えながら生きていく。気づきの旅。なんなら生きていくためのひとつのエネルギーにすらなってくれているかも。なんなら大好きな精神世界のターン。

んでんで、今回取り上げているメインの子は、比較的時間のかかる悩み。これです。問題は。クリアしたと思ったらすぐいろんなパターンで湧いてくる厄介なやつ。くそっ。ゾンビ思考。

わたし潔癖症でした


わたし、悩みがあるとどうしても気になってすぐに解決しようとしてしまうタチであることに気づいた。いや完璧主義やん。なんなら潔癖症?自分にはノースペックだと思ってた特性たち。

だってモヤモヤするんだもん。。すぐ解決したい。。モヤモヤしながら生活するなんていやや。うわー。いや、でもこれ意外と気づいてないひと意外と多いんじゃなかろうか。(いやみんなもう大人だよ)

悩みってだいたい人間関係


あの人といると疲れる。なんであんなこと言うんだろう?
なんであんなことやるんだろう?あの人に変わってほしい。もっとこうしてほしい。居心地が悪い。合わないなぁ。などなど、、、。

職場や家族関係、子育てとかでもあるかも。そしてそんなのってすぐ解決したいし、わりと解決までのゴールもみえそうなのに、でも意外とみえない。ああ厄介。

わたしもここ数年でずっと悩んでいることがある。色々と自分の中で試してみているけれど、どうもうまく運んでいかない。

でも最近は、「まあ、いっか!」と思えるようになってきた。

それは悩みをなかったことにするって意味ではなくて、悩みがある状態のままでもいっか!ということ。


悩み自体を無視をすると、スネてこじらせて、いろんな呪物がくっつくみたいに元の小さかったはずの悩みが、無視されたことによってかまってほしくて、本当は気にしてないようなこともモクモク取り込んじゃって、大きくなって、カチカチになってく。(経験あり)そうなるともう大変。

そう、元の悩みがみえなくなる。時間かけなくてもいいようなことに、時間かかる。そして自分や相手を呪いだす。攻撃し始める。こわい。

「まあ、いっか!」と一旦スルーできると、また考えるべきときに考えられるし、普段の生活でそこばかりにチューニングしなくてすむ。(なんなら最近は悩む対象にすら気づかせてくれてありがとうと、感謝が湧いてくる始末。まじで。)

心と体は直結している

科学的に解決できるかも

よく聞く言葉で頭では理解していたけれど、本当にそうだった。意外と、科学的に対処すると解決する問題もあったりした。

人間はしょせん水だわね。

体が浮腫むと、悲観的になりやすいと気づいた。心がどよんとしてきたときは、体の水分が下にいっていると聞いて、ストレッチしたりリンパをぐしぐしもんでマッサージしたりして流すようにしてる。実際やりだして体もだけど心の調子がいい気がする。しょせん人間、水や。

変わるきっかけは心だがね。


でも、思考を変えるきっかけになるのは、やっぱり心のような気もしている。というのも体験として。
心のスイッチを入れてくれたのは先日、愛知県豊田市で行われた「橋の下世界音楽祭」に参加したのがでかかった。

現場で作られる装飾や世界観でまずまるっとそこの村、異空間に入り込んで、そこにいる人の活気、熱気、出店者さんたちのエネルギー、演者さんの魂まるごと見せられているようなステージ。そして、極めつけに、この言葉たち。

投げ銭とは
単純に自分が見たもの感じたも事に対して自分で考え、自分の価値で、自分にとって、適正な価値を支払うという事です。だから高いとか安いとか、ましてや決して「タダ」って事では、無いのです。これは、モノやコトに対しての自分の価値でもありますが、それは同時に自分の感じた自分の心に対しての価値でもあります。
お金が無い人は、ゴミを拾うなり、トイレ掃除するなり、仕事は山ほどありますので自分の感じた対価を労働なり、なんなりで返せばいいのです。

橋の下世界音楽祭にて  

そして最後の、この一節です!

自分の見たい世界、居たい場所は自分で作るのです。「FREE/自由」とは。自分で考えるという事なのだと、我々は考えています。

橋の下世界音楽祭にて

シビレマシタ

完全に心が持ってかれた。インターネットや噂話ではたどり着けなかった体感でした。(わたしアホだから体験しないとわからないっていう説もあるが)

実際にそこの会場を作り、人を呼んでいる運営の方や関わっている方たちの言葉として受けとり、その説得力の強さに、まるっと飲み混まれた。

自分の見たい世界、居たい場所は自分で作る。自分で作れる。そして、ヒントはたっくさん散らばっているけれど悩みの根本は結局、自分が自分でしか理解して解決してあげられない、と気づいた。

というドパドパな大きな気づきの嵐の最近でした。お店で毎週朝にライブ配信をしているのだけれど、この話をしたらすごく反響があった。(わたしの悩みを、みんなに聞いてもらうという謎スタイル笑)

悩みを具体的にしないことで、見てくれるそれぞれみんなにも当てはめて考えられたみたい。生活してると、いろいろあるよね。悩みはだいたい人間関係だし。あるよね。それぞれの合点が見つかるといいよね。

悩みをすぐ解決したい、潔癖症、完璧主義な自分に気づけてよかった。レッツダイバーシティ思考!(合ってる?)

そして同時に、自分自身もきっと誰かを悩ませている。きっとそう。すぐに解決しようとしない。自分でどうにかしようとせず、手放して一旦浮遊させててもいいかも。大きな気づきでした。

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