やりたいことが見つからないという焦りは「これだ!」を見つける原動力になるー東工大准教授:二階堂先生
こんにちは。MANAI 広報のヴィアナです。
MANAIとつながりがある方にお話しを聞く「MANAIピープル」、第2回目。
今回は、東京工業大学(以下、東工大)准教授の二階堂雅人(にかいどうまさと)先生です!先生はMANAIのセミナーの講師を務めてくださったり、中高生の研究に助成金を出す活動の審査員をしていただいたりと、とてもお世話になっております。
MANAIの野村がお話し伺いました。
現在の研究は、進化は急に起こるとゲノムレベルで説明すること
MANAI「二階堂先生は進化生物学を研究されていますが、たくさんある中で今動いている内容を教えていただけますか?」
二階堂先生「1つ挙げるならシクリッドというアフリカの熱帯魚で、世界中の愛好家や研究者の間でも有名な魚から、種の分化を研究しています。僕たちが研究しているビクトリア湖は、出来上がってからまだ1万5,000年しか経っていなくて。人に例えると、農耕をようやく始めたくらいの頃に出来たんです。人類は猿人から考えると600万年前から登場し、現在では1種しかいませんが、このシクリッドはわずか1.5万年の短期間で500種類にも分化しています。短期間に驚くほど多く分化しているため分化の研究材料としては最適なんです」
二階堂先生「現生で言うなら、人とチンパンジーはとても近い存在ですが、分かれたのは600万年前。もともとは同じグループだったのに、なぜ分かれたかって未だに分かっていないんですよ。ゲノムを全部読んでも、全くわからないんです。なぜかというと、分かれてから600万年経ってしまっているので、突然変異の数が多すぎて『どの変異で分かれたのか』がわからないんです。シクリッドは1万5,000年しか経っていないのでゲノムの配列がほとんど変わらない。ちょっと違うんですよね。違っているところを見つけてあげれば、種の分化がわかります」
MANAI「乱暴な質問ですが、シクリッドの研究から、究極何がわかるんでしょう」
二階堂先生「現代進化論のまだ分かっていない1つの究極的な点がわかります。例えば、キリンに一番近いとされているシカは足も首も長くないですし、シカとキリンの中間になるような生物の化石は見つかっていません。キリンはいきなり足も首も全部長くなり、心臓も一気に強力になりました。とても簡単に表現すると、シカからキリンへ一気にジャンプしたような進化を遂げたんですが、この進化の仕組みがわかるはずです」
アロワナ(魚)と二階堂先生
二階堂先生「ダーウィンは少しずつ進化が起こると言っていて、それに基づくと、まず足が長くなる進化が起こります。つまり足が長い個体が誕生し、地上に広がります。次に首、とならなければいけないんですが、化石にも残っていない。例えば足だけ長くなった『エセキリン』が出来たとしても、生き残るのにすごく不利になってしまってすぐ絶滅するんです。ダーウィンの進化論に基づくと、キリンは本来存在しないことになるんですが、実際にキリンはいますよね。このジャンプ的な進化がどうやって起こるのかが、ゲノムレベルで説明できるのでは、とふと思ったんです。それは2008年のディズニーランドで乗り物に乗るのを待っている時に『これだ!』と思いつきました。何とかして証明したいんですけど、まだかけらでした。暇だと思いつくんですよ。暇って重要ですね」
生き物好きで、ウーパールーパーからカミツキガメまで飼っていた子供時代
MANAI「先生は昔から生物に興味があったのですか?」
二階堂先生「生き物を飼うのが好きでした。小学生の頃当時流行っていたウーパールーパーやピラニア、エリマキトカゲ、2005年から飼育が禁止されたカミツキガメなども飼っていました」
MANAI「エリマキトカゲですか!?」
二階堂先生「はい。飼いたくて飼いたくて仕方なくて。母親が『エリマキトカゲ売ってたから買ってきた』と見せてくれたんですが、エリマキがなくて。実はキノボリトカゲだったんです。あれは残念の極みでした」
MANAI「ピラニアにカミツキガメって、危険な生き物も多く飼育されたんですね」
二階堂先生「当時からそういうのが好きというか。インターネットもありませんし、図鑑にも飼い方は書いていませんから試行錯誤で育てました。カミツキガメが来た時は2月で、今思えば冬眠の時期なんですが全然餌を食べてくれなくて。ある日、夜置いた魚がなくなっていて『面白い! ついに食わせたぞ!』とうれしくなりました」
MANAI「今も研究室でウーパールーパーを飼われているそうですが、小学生の頃から研究的な目的で飼われていたんですか?」
二階堂先生「ただ単に、飼うのが好きだったんです」
「スーパーマンが全部解決した世界」生き物の研究者にはなれないと思っていた
MANAI「先生は小学校時代の生き物との触れ合いが『今の研究とつながっていない』と仰いましたが、それはどうしてですか?」
二階堂先生「生き物の研究者にはまずなれないと思っていました。憧れてはいましたが。なぜかというと、本には生物について全部解決しちゃったように書いてあるんですね。例えば進化論だったら、ダーウィンが全部解決して、終わってるんですよ。そして『分かってないこと』は書いていない。『分かったこと』が書かれていて、しかもざっくり書いてあるので、子どもの頃のイメージだと『あるスーパーマンが1人いて、全部一気に解決しました』ということが本に書いてある、と誤解してました」
MANAI「全部誰かがやった後の世界だと。これだけ先人が完成させたんだから、それ以上やるのは意味もないし、仮にわからないことを探すとしてもそれは大変だなということですね?」
二階堂先生「そうですね。本には分かんないことは書いてないじゃないですか。そしてそれらは、誰か天才がさもひらめいたように書いてある。なんで気がついたんだろうかと。それらを読んで僕はいつももやもやしていました。「才能がないな」と。今考えれば、論文にはその結論にいたる失敗や試行錯誤は大抵書かれないのですが、そんなことは知らず、天才の偉業に触れ、僕は研究者になれないだろうなと決めつけていました。親に言われるまま、中学受験のため塾に通っていました」
MANAI「教科書だったり本にはもうすでにみんながやったことが全て書かれている、新しい発見や探求の余地はないというもやもやを抱えながら、かつ塾で教科書を使って勉強をするってどういう思いだったんですか?」
二階堂先生「まあひどく勉強はしなかったですね。受験には後ろ向きでした。授業中は放心状態で『今日の夜ご飯は何かな』とか『早く帰って生き物触りたいな』とか考えていました」
MANAI「中学・高校もそんな感じだったんですか?」
二階堂先生「のんびりした牧歌的な中学校に進学して、大学までエスカレーター式だったので勉強はしませんでした。部活は野球に入って、高校から自転車部でレースに出たり、エレクトロニクス研究部で電子工作をしたんですがあんまり興味が持てず。アマチュア無線で免許を取って海外の人と話したり、いろんなことをしました」
高校時代在籍していたエレクトロニクス研究部。
2日間で交信した人数を競う大会に出た時の様子
MANAI「今、高校生と話すとみんな病的なくらい『好きなことが見つからない、何をやっていいかわからない。不安だ』と言うんですね。ものすごく『好きなことを見つけなきゃいけないプレッシャー』があると思うんですが、先生はそういうことって考えたことありましたか?」
二階堂先生「もちろん。何やっていいかわからないから取りあえずやってみるという。やりたいこと見つからないって、要するに暇なわけですよね」
MANAI「なるほど。そういうことで悩めるって、恵まれてると言えば恵まれてますよね」
二階堂先生「その悩みは、やりたいことを見つけるかなりの原動力になると思うんですよね。悶々としている『やりたいことが見つからない』っていうその状態を自分の中に抱えてるっていうこと自体は、やりたいことを見つけるものすごいエネルギーになると思うんです。高校生のやりたいことが見つからないって、将来につながる何かを見つけたいと思っていると思うんですけど、それは僕も全然見つけられなくて『どうすりゃいいんだろうか』って焦りはありました。あれは僕にとって良かったと思います」
MANAI「自分は一体何をしたいのだろうかという悩みが、いろんなことにアンテナを張るモチベーションになったということですか?」
二階堂先生「そうです。今はきっと、スマホを見て頑張っている人たちが見えちゃうんじゃないですか? そういう子たちしか発信をしないので。今もんもんとしている気持ちは、大人になって1つのことに集中できるような環境になった時の原動力になるんじゃないかと思います」
MANAI「中高生から『やりたいことがわからなくて焦ってるんです』という相談を受けたら、どう答えますか?」
二階堂先生「俺もだったよ! って答えます。僕は双子だったので、1人でもんもんとせず兄弟と『つまんねーな』と話せたのは幸運だったかもしれません」
MANAI「中高時代に自分に影響を与えた人や出来事ってありましたか?」
二階堂先生「あえて挙げるとすると、高校の生物の先生ですね。その人はぶっ飛んでいてました。ニューギニア学会の事務局長で、コモドドラゴンの研究をしている人でした。『僕は人食い族に襲われてね』とか話すんです」
MANAI「ニューギニア学会ですか!」
二階堂先生「当時学会というものがあることも知らなくて、ニューギニア学会も本当かどうか分からないんですが『学会の偉い人が授業したりするんだ』と衝撃でした。先生は雑談も面白かったですし、威厳もたっぷりで。アタッシュケース持ってるんですよ。パツン、パツン、カチャンと開けて『今日のプリントを配る』ってプリントを出して、ダンディーな感じなんですよね。ただ、授業は教科書を読んでいるだけで『へたっぴだな』と。生き物の研究をしている人はこんな人もいるのか、と衝撃でした。おこがましいんですが『もしかして、この先生には追い付けるかも』と思ったんです」
MANAI「その頃くらいから、研究者になりたいなとは思っていらしたんですか?」
二階堂先生「はい。会社勤めはいいなとも思っていました。ただ、あまり器用じゃなかったので自分1人で考えてできるのがいいな、と。同級生にはものすごく数学ができるやつとかがいたんですが、僕にはそんな才能がない。どちらかというと文系、今でいうと文理融合なんですけど、科学でありながら論理展開が必要なもの、文筆の方もやってみたかったんです」
MANAI「当時の二階堂先生にとって、文理融合の職業が研究者だった、という感じでしょうか」
二階堂先生「そうですね。あと、学校の先生以外では、立花隆さんから大きく影響を受けました。あの人の本にはしびれました。一番感動したのが『精神と物質 分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』という本です。日本人として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進先生をインタビューしたものなんですが(MANAI 注:長い間謎とされていた、抗原・抗体の原理を解き明かし、100年に1度の発見といわれた)、どうやってノーベル賞を取ったのかっていうことが細かな話が書かれているんですね。どうやって免疫のシステムができあがっていくのかってことが処方から細かく書かれているんですよ。本当にこまかーく。『あっこんな風にして一研究者が1個ずつ解き明かしていくのか』と。もちろん教科書には何にも書いてないことなんですよ」
MANAI「なるほど、小学生の頃から抱えていた『分からないことやひらめきのプロセスが書かれていない』もやもやがそこで解消されたんですね」
二階堂先生「はい、これか! と感じました」
MANAI「本はいつ頃読まれたんですか?」
二階堂先生「高校3年生の、東工大を受験することは決めていた時期ですね」
MANAI「東工大を選ばれた理由って何なんでしょう」
二階堂先生「物理化学を勉強していて。東大はまず難しくて入れないと思っていて、まあ東工大もF判定が出て親には止められていました」
MANAI「東工大を諦められない理由ってどんなことだったんでしょうか」
二階堂先生「当時新しく生命理工学部が設立されて、分子生物学(化学と物理を駆使した生物学)が出来たばっかりだったんですね。それを専門にしている大学ってなかったんですよ。今はどこの大学にも生命科学科ってありますけど。僕自身、生物と文系が得意だったんです。それに対して東工大生は数学が得意な人が多い。ここだったら、自分が得意なことを生かせるんじゃないかと思ったんです。正攻法の『トップを取ろう』という選び方ではなかったですね」
受験は「得意じゃないことを知る機会」
二階堂先生「僕はいつもいろいろやって『これは嫌い』『これは嫌い』って、ようやく残ったものが選択肢になったので、受験には意味があるのかなと思います。苦痛でしたけど」
MANAI「強制的にいろんな所に種をまく、ということをさせられている」
二階堂先生「これは無理だよっていう中から研ぎ澄まされた1本の何かがあれば、それを選べますよね。高校生が苦しんでいるのは、好きじゃないことをさせられているから当然で。全部好きだったらそれはいいと思うんです。必ずしもそうではないので、得意じゃないことを知るのも大事だと思います」
「好きじゃないと出来ない」と気がついた大学時代
二階堂先生「大学時代、鳥人間コンテスト(人力飛行機の滞空距離と飛行時間を競う)のサークルに入ったんです。みんな頭がいいから、一緒に飛行機作ったら優勝できるだろうなと。大きいことやりたいと思って。僕はプロペラを作ることになりました。ただ、熱量の入り方が他の学生と違っていて、全然作れなかったんですよ。そもそも夜の10時、11時まで設計図を作ってけんけんごうごうって、僕はついて行けなかったんです。『こんなに好き嫌いって人はあるものなんだ。好きじゃないとできないんだな』と打ち破れましたね、そこで」
サークルの様子。写真真ん中から少し左側で
サイクリングウェアを着ている男性が二階堂先生
MANAI「鳥人間に興味はあったんですよね?」
二階堂先生「そうそう。僕は自転車が得意だったので、パイロットになったんです。ただ、パイロットになりたくて入ったんじゃなくて、飛行機を作れなかったから運転手たるパイロットになったんです。電子工作も、はまれば好きになると思ったんですよ。でも全然出来なくって。なのでやっぱり好きなことは重要かなと」
MANAI「大学に入られて、今のテーマである進化の方へ行きつかれたのはどんな流れだったんでしょう」
二階堂先生「いや、それがよくわからないんですよ」
MANAI「え!」
二階堂先生「進化は好きだったんです。文系っぽいものが好きだったので、言葉でロジックを組み立てて理解していく。生き物を扱えるし、これは面白いなと思って。ある程度自分で切り開けるなら進化かな、と」
MANAI「どこか進化系の研究所に入ったわけではなく、自分で勉強していった感じなんですか?」
二階堂先生「研究室は4年生から所属で、3年生までは独学でした。進化っていう言葉がついた本は片っ端から買ってましたね。その頃は火星に生き物がいるか、という研究をしている先生がいらして。『これは面白い!』と思って研究室に入りたい、とお話したら、来年定年だと言われて。ショックでした。次にクジラの研究をされている岡田典弘先生の所へ挨拶に行って。ただ先生は、分子生物学を専門とする先生なんですね。生き物の細かな部分についてはそんなに詳しいわけではなかったんです。ただし、生き物の系統樹を作るメソッドはその当時に間違いなく世界最先端で。僕が持っている生き物の知識を先生が喜んでくれたんですよね。そこでパズルのピースがはまった感じがしました」
研究室時代のポスター発表
MANAI「先生はターニングポイントごとに、自分を生かせる道を選ばれていますよね」
二階堂先生「消去法ですけどね。ただ、進化の研究のラボに入った時は『うまくいったかな』と思いました。それまでは教科書読んでも本を読んでも、スーパーマンが全部解き明かしたみたいな完成物を見せられていた感覚でしたが、4年生になって『このテーマをやってみる?』と言われた時、具体的なことが見えてきたんですね。論文や関連論文を見ていくと、過去の古い先生たち、それこそチャールズ・ダーウィンに行き着くんですけど、そこから脈々と研究が積み上げられていて。その中にどすんと自分のが乗るというイメージができたんです。そんなスーパーマンじゃなくてもいい、と気付いた時に『これはいけるな』って思いましたね」
MANAI「スーパーマンが点と点でやっていたことではなくて、1つの線の中でバトンを渡していくみたいな感覚ですよね」
二階堂先生「脈々と細かくつながっていくっていうのがあって。いきなりパラダイム・シフトみたいなのはほとんど起きないんですよね。好きなことを黙々とやれば結果につながっていくんだと。いくら長時間ラボにいても楽しい時期が続きました」
修士2年で大きな論文を発表、生物の教科書に掲載される
MANAI「カバとクジラが近い存在であることを発見されたのも、その時期ですか?」
二階堂先生「クジラが現生の生き物でどれに一番近いか、水の中にいて泳いでるけど、進化をたどれば陸上を歩いている四足動物と近縁なはずで、その謎が残っていたんですよ。牛に近いというのは先人が研究して分かっていて。ただ、メソッドとして行き詰まっていて『まあ牛に近いところまで分かっているからいい』と研究をやめていたんですね。僕はそれがどうしてもやりたくって。すでに3人くらい学生を投入したんですが結果が出なくてみんな嫌になってラボを辞めてしまうという精神的にきつい仕事だったんですよね。僕はそれを『探し方が悪い、情熱が足りないんだ』と思って、だめって言われていたんですけどこれはやめちゃいけないと、先人が残していったノートやサンプルを使って夜中まで隠れて実験をしたんです」
ラボでの先生と野村の後ろ姿
MANAI「その時先生を突き動かしていたものって、どんなところでした?」
二階堂先生「大型哺乳類にも関わらず、系統樹が分かっていないという大きなもの、金鉱脈をあてたい、トレジャーハンターですよ。生き物に関係してるからこそ、そこが宝だと思えたんでしょうけど」
MANAI「それって小学生の頃の気持ちとつながっているんじゃないかと感じました。科学の偉人たちの功績に触れては『俺やることないじゃん』と思っていたのが、クジラに関しては穴というか、やることが見えたわけですよね」
二階堂先生「カバに近いとわかった瞬間は震えました。実験結果を紫外線で照らして見る装置があるんですが、その紫外線ランプがなかなかつかないんですよ。チラチラ、チラチラって。ピカって光って結果が見えた時に『うわあああ』って手が、震えました」
MANAI「修士2年でそれだけ大きい論文を出すのって、一般的なんですか?」
二階堂先生「一般的ではないんですが、運が良かったんですよ。修士2年って大学入ってすぐなんですよね。研究初めて1年、2年でも世界を驚かす論文を出すチャンスって、どの分野にも十分あると思うんです。運もあると思うんですが、意外と近いんだよってことは、みんなに伝えたいです」
MANAI「先生が大ヒットというか、大きな論文を出せた要因を敢えて探すとしたら、何だとお考えでしょうか」
二階堂先生「育ってきた環境でいえば、型にはまらなくて大丈夫だよと言ってくれた家庭環境ですかね。『犯罪を犯さなければ何やってもいい』というのが父親の口癖で。両親が自由にやらせてくれたというのは1つあると思います。あとは、鳥人間コンテストサークルメンバーたちがすごくて。情熱の傾け方が半端なかったんですよ」
MANAI「みなさんの」
二階堂先生「そう、俺以外の(笑)。あれを見た時にこんなに好きなことがあるやつがいて、すげえなと思ったんです。自分にもそれが見つかりそうだと思った時のエネルギーはすごかったですね。好きなことが見つかってない状態の悔しさを忘れないっていうのはすごく重要だと思います。大学では見つからなかったけど、仕事で見つける人もいますよね。サークルは遅くまで残って朝早い、ちょっとブラックなものだったんですが『そこでも楽しく生きていける君らの精神状態って何だ?』と思っていたので、いい経験になりました」
サークルで作った人力飛行機の写真
MANAI「ちょっと話は戻るんですが、やりたいことがないという中高生のアドバイスとしては僕も同じだったぞ、とやりたいことがなくて困っているのは、マグマのようなすごいエネルギーになる、ということですね」
二階堂先生「今って変な情報がたくさん入ってくるので、逆にかき乱されちゃうんじゃないかなって。外のことを気にせず、もんもんとしたほうが惑わされなくていいと思います。迷っている自分、悩んでいる自分を受け入れ、焦りをエネルギーにしていろいろな方面に手を出してみる。そういったことの先に、自分の情熱を注ぎ込む対象に出会えると思っています。そしていざ出会った時に大きなエネルギーになるのが、迷っていた自分、もんもんとしていた自分の「あの頃」だと思っています」
先生のシクリッド研究成果は2014年9月にイギリスの著名科学雑誌『ネイチャー』にも掲載されています。わかりやすいものは『東工大ニュース』でご覧ください。
先生の研究室ウェブサイトはこちらからどうぞ
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