竹富島との邂逅。
人生3度目。この夏、とても久し振りに竹富島を訪れた。「なぜ行くことにしたのか?」という理由は後付けでいくらでも語れるけれど、シンプルに「来たかった」というのが1番の理由だ。
飛行機のチケットと民宿の予約を取ったのは出発の1週間前。そもそものキッカケになったのは、その10日前に目にした知人のSNSだった。
「竹富島にいます」
私にとって、竹富島は思い入れがある土地だった。今は過去、これまでの人生で間違いなく1番ハードだったといえる出来事にようやく方が付いて、無自覚ながらも心身ともに疲弊していた時がある。そんな時に友人に誘われて飛行機で飛び、フェリーで海を渡って訪れたのが竹富島だった。
初めての竹富島
当時、初めての沖縄。初めての離島。初めての海。何もかもが初めて尽くしで新鮮だった。けれどそれらが落ち着き、美しく穏やかな自然にただ触れる静かな時間が訪れると、なんだか泣きそうになる自分がいた。(実際に少し泣いた。)
傷心旅行という言葉があるが、私にとって1度目の竹富島は自分が傷心であったことに気づくための旅だったように思う。内側にある頑なだった何かを癒し、赦し、溶かしゆくものが、竹富島の自然にはあった。この旅がなかったら、過去の私はうまく立ち止まることができなかったかもしれない。それ以来、竹富島は私にとって特別な土地になったのだ。
2度目の竹富島
「また来たい」
そう思いながら中々次の機会はなく、再び私が竹富島を訪れたのは5年の月日が経過した頃だった。知人の主催するリトリートの開催地が竹富島で、「竹富島に行きたい」という気持ちから参加することにした。当時はコロナ禍ということもあり県外の移動にはPCR検査が必須で、陰性結果を手に少し緊張しながら空港に降りたのを覚えている。
かつて初めての海を体験したコンドイ浜に再びやってきた時、目の前に広がる変わらない景色に嬉しさが湧き上がった。大好きな海。還ってきたかった場所。遠浅の海に膝下までをつけて、冷たくて心地良い海水の流れを感じながら浜からできるだけ遠いところへと歩く。
還ってきた。還って来れた。それも、過去とは違った自分で。2度目の竹富島は、ただそのことが嬉しかった。
3度目の竹富島
そして今回3度目となる竹富島への訪れ。3度目にして初めて(というか人生を通して初めて)一人旅をすることになった。移動はもちろん、現地で誰かと合流することもない。「竹富の海に還る」という目的はあるけれど、他は何も決まっていない中で2泊3日の時を過ごす。民宿に着くまではどこか緊張感があって落ち着かずにいた。けれどその分、無事にチェックインを済ませた頃には1つ何かをやり遂げた気持ちになった。
「竹富島に来た」
これまでとはまた違った竹富島になるだろう。思い入れのある3度目のこの場所で、私は何を感じるだろう。
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