otonaの発達/判断と選択
コロナのせいで。コロナのおかげで。
そんな世の時代を生きている。
コロナのせいで失ったものもあれば、
コロナのおかげで気づいたこともある。
【社会的立場と役割】 社会の中で生きていると、私たちには「役割」があり、その社会的な「立場」で物事を受けとめたり、発言したり行動する。そして、社会的な役割が大きかったり重要度が高かったり、影響力が高かったりする人ほど、側から見て判断力があるように見えてしまうものだけど、実際に「一人の人間としての私」が選択、判断する力って悲しいほど・・・ない。自分が思っている以上にない。
【白いマスクでなければならない?理由】 昨日、今日とネットニュースになっている「白いマスク問題」。ある学校やある職場でもこの状況下でもまだ「白いマスク着用」いう指定がある、そんなネット記事。そもそもネットの記事をすべて鵜呑みにしたりしないのだが、この件に関しては「それが事実である」ということを前提に話をしてみたい。
そもそも「白いマスク」ではないといけない絶対的理由は存在しない。せいぜい「印象が悪い(怖い)」などという心象的、主観的理由で、論理的に説明できる理由はないと思う。
心象的理由で白いマスクでなければいけないことは、サービス業などにおいては必要な視点かもしれない。でも、今は「そんなこと言ってる場合ちゃうやん!」という状況であり、現状のマスク着用の必要性は、「命を守る」という最重要ミッションを遂行するためのものである。心象とかそういうのは、どうでもよい。
【判断、選択できない大人たち】 では、こんな現状においても「白いマスク」着用を指示する職場や上司がいたとして、それは何を意味するのだろうと考えた時、やはり「選択、判断できない大人」という課題が浮き彫りになってしまう。「いつも通り」「今まで通り」なのだ。「禁止だから、禁止」なのである。
判断の意味をググって調べると「物事を理解して、考えを定めること。論理・基準などに従って判定を下すこと」だそうだ。判断できない大人はまず「物事を理解していない=本質を見抜けていない状態」ではないかと感じる。だから、判断できない。変化させること、判断することで私自身が責任を担うことを避けたい、そんな深層心理が透けて見える。
【個人レベルでの判断、選択する力】
はて、わたし達大人の判断力ってそんなもん?
いや、そんなもんなんだって、自覚するとこから始めなきゃいけないよな。
そうじゃなきゃ、今この瞬間にこの状況を打ち破っていくようなアイディアや行動力なんて
湧き出てくるわけもない。
私たちは自分が思っているより判断力が育っていなかったりする。でも、それは常日頃からそれを避けているからそうなるのだ。自分で判断し、選択する。小さなことから日々繰り返す。それが、判断する力、選択する力を育てるし、それと同時に「本質を見極める力」を育てることに繋がる。
「白いマスク問題」にしても、本質的に考えると会社のルールや決まりを守るべきだ、という立場からの判断、選択レベルの話ではない。もっと本質的な視点から見た判断や選択が必要だ。自分自身がいま世界で何が起こっているのかという本質を見抜き、尚且つどう判断をして、何を選択したほうが良いと思うのか。それを一人の人間として感じられる人でないと、本質を軸とした判断や選択はできない。そんな人が社会的立場や役割の中で、状況に合った判断や選択をできるとは到底思えない・・・。もちろん、個人的な選択や判断と社会的立場や役割を通しての判断や選択は異なる場合もある。むしろ、そんな場面ばかりかもしれない。でも、一人の人間としてどう感じるか考えるか、目の前の出来事の本質を何と捉えるのか。それが社会的立場や役割を通して判断する上でも重要な軸になる、ということが言いたいのだ。
立場として社会的役割としての判断、選択ではなく。自分自身がどう判断し何を選択するのか。
立場や役割を通してしかできないような判断や選択は多分、本当の意味での判断力や選択する力とは言えないと思う。
私は何をどう判断するのか。 私は、今何を選択したいのか。
私が私として自分自身の人生を軸に、考えよう。今、こんな時だからこそ。 そして、判断しよう。選択しよう。 今、こんな時だからこそ。