「なんで勉強しなくちゃならないの?」の答えは
私も同じ質問をする子どもだったから
私は勉強が嫌いな子どもだった。
大人に「何πrがどうのっていうのを覚えて大人になってから役にたつの?」と聞いたクチだ。
当時は「つべこべ言わずにやりなさい」と言われて終了、という感じだったけれど、そのころのモヤモヤを考えると、自分の子どもには納得のいく答えを出してあげたいなと思っていた。
予想通り、娘が小学校の高学年あたりから「なんで〇〇しなくちゃいけないの?いつ役にたつの?」といった質問をするようになった。
我が家は中学受験をさせた(下の子は進行中)ので、「子どもを頑張らせすぎている」と感じる状況にいることから、なおのこと明確な答えを提示してあげたいという想いがある。
教育への圧倒的熱量
話は逸れるが、娘をアメリカの幼稚園に通わせていた頃のこと。
その幼稚園はいろいろな人種の子どもたちが集まっていたが、モンテッソーリ系ということもあってか、教育熱心の家庭が多かった。(うちは家からかなり近いという点と、雰囲気が気に入ったという点で通わせていた)
それぞれの家庭の事情はわからないけれど、印象深かったのは、とあるインド系の男の子。当時4歳。どう見ても「一家の期待の星」という雰囲気だった。つまり、とても教育熱心な家庭という印象だった。
聡明でキラキラした目の彼は、その重圧ともとれる状況を、当たり前のように、誇らしげに、受け入れているように見えた。
「アメリカに移住できるインド人は、インド国内でかなり上位の家庭」と耳にしていたので、同じ幼稚園に通ってはいるが、違う世界に住んでいるという印象だった。
その時に強く思ったのは、「十数年後、この子たちと同じ土俵で戦うんだ・・・日本、大丈夫か?」ということ。学ぶ/学ばせることへの熱量が圧倒的に違う。強烈だった。
大きな変化の中で
そんな体験をしたこともあってか、私は教育に自分なりの見解も入れて、子どもたちを育てている・・・つもり。
もちろん「これが正解です」なんて言えない。言いたくても言えない。
正解かそうでないかなんて、そんなものはわからない。
でも、子どもたちは現在進行形で学び続けている。
私が迷いもある中で出す「なぜ勉強するのか?」については、こう答えています。あくまで、私の場合は、です。
いつか自分が「これをやりたい」と思うものを見つけることができたとき、それを手にするための武器を集めているところ。
丸腰でも戦える人はいる。
でも、たくさん武器があったほうが世界も選択肢も広がると思う。
ここに、ちと重すぎるオヤゴコロが含まれてしまってもいるが、親が子にできることは実は限られていると思っているし、なにより自分がしてあげられることが他に思いつかないこともあって、今の形になっている。
私の意見や経験値は、あっという間に古臭くなっていく。
だったら「自分で学びを得るチカラ」を携えていく手助けくらいは、させてもらいたいなと思う。
「社会の変化が大きすぎて、数年先がどうなるか分からない」と言われる中で、進路を決めて歩んでいかなくてはならないのなら、「あなたは学ぶ力があるから大丈夫。今までにはない可能性が広がっているよ」と言ってあげたいのです。
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