子のために、アリストテレスを見つけよう
学校に期待するすべてはムリゲー
自分が教育を語る資格はないと思っています。なぜなら、教育に関して体系的に学んでいません。あくまでも、僕の偏見に基づく考えです。
教育の目的とは?
教育とは、「子どもを、家族、地域、社会、国家にとって必要な人材に育てること」と仮定します。たとえば、原始時代なら、男の子は食料を獲得してくれる人材に育てたのではないでしょうか。戦国時代の大名の子なら、領国を統治できる人材に。近代国家なら、良い工場労働者や兵隊になる人材。現代資本主義国家なら、よいホワイトカラーに。また、国家を転覆するような人材にならないように。
教育目標の複雑な現実
このように考えると、国家が提供する教育(義務教育)は、国家の経済や軍事を支え、そして治安を悪くしない国民を育てるのが目的となります。ここで問題を考えます。社会が単純な時は、教育は比較的簡単かもしれません。たとえば軍事国家なら強い軍人になる国民を。経済国家なら、たくさんの富を生み出せる国民を。しかし、社会が複雑化すると、国家の目的も単純ではなくなります。そのため、単一な教育目標の設定も難しくなります。
日本の教育の方針の不透明さ
今の日本の教育は結局どんな国民を育てたいのかわかりません。そもそも社会状況が急速に変わっているのに、何が正しい目標か、そして教育かなんてわからないのです。
将来の価値を考える教育
たとえば、英語教育やプログラミング教育を、早い段階で開始するといいますが、今の小学生が成人した時、英語を使えることが重要となっているのでしょうか。学んだプログラミング言語が陳腐化していないのでしょうか。現在でもかなりの精度で英語がAIで翻訳されています。おそらく早い段階で、リアル翻訳こんにゃくが完成されると思っています。そんなときに英語に価値はあるのでしょうか。
グローバル社会における言語教育の課題
また、そもそもなぜ日本国民全員が英語を話せないといけないのでしょうか。自分は外国語学習が必要ないとはいっていません。しかし、もし日本がグローバルに活躍できる人材を育てたいのなら、なぜ英語だけなのでしょうか。スペイン語や中国語、ヒンディー語をかなり多くの人が使用しています。そのような国が経済的に台頭する可能性はたくさんあります。しかも、そういう人たち全員が英語を話せるとは限りません。
教育の多様性への挑戦
まとめます。現在のように社会が、世界の環境が大きく急速に変化する世の中で、画一的な教育を国民全員に施すことは不合理だと思います。
新しい教育の形を模索して
それでは、どうするのか。一つのアイディアとしては、アリストテレスです。彼は、アレクサンダー大王の家庭教師でした。そうです。以前は、自分の子の教師は、親が見つけていたのです。そして指導方法は集団授業ではなく、個別指導に近いものでした。
オンライン時代の新しい教育機会
公立の学校ではなく、家で教育を実施していたのです。つまり「家立教育」ともいえましょうか。
そんなことは難しい、と思うかもしれません。しかし、今はオンラインでいくらでも良い教師とつながれる時代になりました。しかも、安価で。これからの社会は、親が、自分の子どもの未来像を作り、そのための教師を見つける時代が来ていると思います。
ただ、今の考えはあくまでも僕の妄想です。小学校や中学校はどうするのか。家立教育との並立はできるのか、などは、今後考えていかなければなりません。
個別指導時代への移行
ただ一つ言えることがあります。公立の教育に自分の子どもの未来を完全に任せる時代は終わりました。とりあえず、自分の子のためのアリストテレスを見つけだしませんか。