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いろいろあった2021年を振り返ってみる

2021年は個人的に良くも悪くも色々あった年だった。
今日はそんな一年を振り返ろうと思います。

春、

18歳も終わりかけていた頃、前年からこつこつ準備をしてきた短編映画の撮影を行なった。2020年の春、芸術大学に入学してから授業の中で映画制作(っぽいもの)は少しずつ学んできていたけど今まで映画制作に関わったこともなければ、それまで人の上に立つこともなかった僕がいきなり映画監督という重すぎる役職についた。2020年6月に脚本を書いて仲間を集め冬に俳優も決まり、年を越してようやく場所も決まり3月上旬に撮影できることが決定したタイミングで緊急事態宣言が発令された。もし緊急事態宣言が延長されれば撮影は出来ない、9ヶ月間取り組んできたこのプロジェクトももしかしたら中止にしなきゃいけなくなるかもしれない、僕がスタッフミーティングでそう話すと一人の仲間が"中止は絶対に無い"と強く言ってくれた。その時、自分がやりたくて始めたことを同じように背負ってくれている仲間がいることを強く実感した。

撮影前日、ほぼ一年前から待ち望んでいたことがようやく出来るのに、僕は逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。もし何か失敗したらどうしよう…
僕のその不安はちゃんと現実になったけど、周りには助けてくれる仲間がたくさんいた。そんな環境のおかげで1日目はどうしようも無いポンコツ監督だった僕は最終日に余裕のあるポンコツ監督になった。これからもこの仲間と一緒に映画を作りたい、そう思った。

そして、19歳になった。

夏、

2年生になってそこそこな大学生活を送っていた夏。
友人伝いに知り合った大学の同級生が作っていた映画に参加することになった。
最初は何でも屋みたいなことをやっていたけどお金の管理を重点的にするようになり、資金調達のために行うクラウドファンディングの責任者になった。クラウドファンディングに関しては元々知識があったから、始まる前は結局なんとかなる精神で割と軽く考えていた。でも、そんな甘い考えはクラウドファンディング1日目で粉々に砕かれた。はじめに僕がやったのがSNSでクラウドファンディングに明るそうな人たちにDMでご支援のお願いをするということだった。何人かに送って様子見をしていた時、一人目に送った方から返信が来て見てみると"話したことも無い人にいきなり寄付をお願いされても…”という旨の内容だった。その人はクラウドファンディングに何度も挑戦したことがある人でDMは暫くダメ出しの嵐に見舞われた。それは結構ショックだったけど、その人が言っていることは至極真っ当なことだった。そして、その経験によって僕が今向き合うべきなのはSNS上の他人では無く、近くにいる家族、友人、知人なんだと気付かされた。

それからは映画制作のチームスタッフや俳優の方にも協力をお願いしたし、(お金が絡む事なので)嫌われる覚悟で友人や高校の時の先生にもお願いをした。すると少しづつ寄付してくださる方が増えてきて、始めてから3週間ほどで目標の半分の金額を集めることが出来た。でも、本当にきついのはそこからで何日間も金額が増えない日が続いた。一緒に取り組んでいた仲間の中には諦めモードに入っている人も出て来て、でも、それでも自分だけは絶対に諦めちゃ駄目だと強く思った。

短い夏休みが終わりかけの頃、無事に目標金額を達成した。
それと同時に多くの方から多額のお金を預かることの重責とその人たちの想いが身体にのしかかってきた気がした。その重みをひしひしと感じながら1週間の撮影に向かい、色々良いことも悪いこともあったけど1週間が終わった。

この夏で泥臭くコツコツ取り組むことの大切さを学んだ。

秋、

撮影が終わってしばらく時間が空いた頃、
クラウドファンディングの特典制作用に撮ったメイキング写真を眺めている時、この写真を使って何かカタチに出来ないかとふと思って、2022年に写真展を開催することにした。フォトグラファーでも無ければ写真の知識を持ち合わせているわけでもない僕が撮った写真で個展をやるのは側から見れば無理な挑戦に見えるだろうけど、それでも写真に写る一生懸命な若者たちの姿はどこかの誰かの心をちょっとは動かすことができるはずだと本気で思った。そのことを友人に話すと写真展には興味が無さそうな反応だったけど、面白そうとは言ってもらえた。

また、この頃から映画制作に対する僕の考えも少しづつ変わっていった。
元々自分は映画監督になるために映画を学べる大学に入ったけど、春に監督をやってみて自分には向いてない、ずっとは続けられないなと感じてしまったのもあってあまり積極的に監督をやるのはやめよう(やりたい時にたまにやればいいや)と決めて過ごしてきた。そして、この頃から映画を作りたいという想いも少しづつ薄れていった。世の中に作品を生み出すクリエイターではあり続けたい、でもその作品が「映画」じゃ無くても別に良いみたいな思考になった。それは、写真展をやるって決めたから生まれた感覚かもしれないし、世界中の人に想いを伝えることを意識し始めたからかもしれない。今までの僕にとっての意思表明は映画だけだったけど、これからは文章や写真、時には音楽やデザインかもしれない、それで良いんだ。と思うようになった。

冬。

個展の会場をどこにするか悩んだ時に、クラウドファンディングにも協力してくれた高校時代の先生に見てもらいたいと思って、高校時代を過ごした町で行うことにした。それから個展会場はギャラリーじゃなくてどこか自分が安心できる場所が良いと思って(ギャラリーは敷居が高い感じがするし)、自分にゆかりがある場所を無理を言って貸していただくことになった。個展の内容は映画を作る若者たちの写真のみの予定だったけど、急遽内容を"僕が過去に関わった町や人と、今関わっている人や場所"というものに変更することにした。少しでもその町のためになりたいと思ったから。準備はまだまだこれからだけど良いものにしたい。

もうすぐ年越しというタイミングでこの一年を振り返ることも増えてきた。
今思えば、2021年は自分のやりたいことがたくさん出来た年だったけど、それは自分の能力のおかげというよりは周りの人たちのおかげだった。だから2022年は少しでも恩返しができる年にしたい。そう強く思う。

それから、

2022年の3月にはとうとう20歳になってしまう。
ずっと早く成人したいと思って生きてきたけどあと少しで10代が終わるとなると少し、いや、すごく寂しいし自分の中の子供っぽさが消えていってしまうような恐怖も少しある。でも、時間は過ぎ20代は必ずやって来る。

だからこそ、まずは20代までの3ヶ月間を大切に大切に過ごしていきたい。
その後のことはその後考えることにする。

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