調和と肯定と安全と存在。
いきなりですが、調和とは何か?
調和するとは、何か人と人、モノと物をバランスよくつなぐような感覚なのかな、でやってきた。
でも、最近思うことは、いいものでつなぐとは限らないのじゃないか、ということ。
嫌なものでもバランスがよくなることがある。
嫌なものでもつなげることができるということがあるということ。
最終的にそれが存在して、うまく回って何かが存在できること。
肯定されるということ。そんなことのように思える。
でも、それによって、悪役商会ではないが悪い役回りということを
演じなければならないことがあると思っていた。
そして、しらずしらずのうちにやっていたのかもしれない。
両方OKであることを、今更ながら認める。
認めるものは、
悪い役回りをしていることが今までの私には多かったということ。
知らず知らずのうちにやっていたこと。
最近私の中でマイブームなのは、
徹底的に自分の嫌なことをする必要がないと思うこと。
もう私が嫌なことをしなくてもよい。でも、それは宇宙的にはまったくしてもよい。
知らず知らずのうちにやってもよい、宇宙的には、やらなくてもよい。
つまり、
何もかもを肯定する。
それこそは調和なのかもしれない。
自然な動きや認識の中で、全体がうまく収まっていくところに動く。
自分を調和の立ち位置に置く、周りである人というものは自分ではないので、調和の場所に、自分の心の中で安全に置く。
つまり、
大丈夫なのだ。
安心してお進みください。
調和というものを意識していると、全ては大丈夫なのだから。
理由は、宇宙は調和されているから。
つまり、
すべては、宇宙的に大丈夫なのだから。
新年早々、とりとめのないところで始まってしまいましたが、
結構常識人の部分があった私の部分が崩壊しているような
感覚でいます。
言葉にすることで、エネルギーを感じていただき、
新感覚をお届けできれば幸いです。
本年もどうぞよろしくお願い致します。