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園児の頃の夢は叶わない? 幼稚園編

今日は私が両親の宣教地のパプアニューギニアから日本に帰ってきてからの話をしたいと思います。

ジャングルの中の村での生活が長かった私は水道の蛇口を大きくひねるだけで大量の水が出ることにも驚き、泣くこともあったようです。

幼稚園に入る歳になり、地域の幼稚園に入学した私ですが、とても元気いっぱいで積極的な子どもだったようです。
少し元気過ぎて母は何度も幼稚園に呼び出されてお叱りを受けたようです。
真面目で温和な牧師婦人の母を何度も呼び出しにしてしまい、今思うと少し申し訳なかったと思います。笑

当時から私は日本の文化の中にある「何か」を嫌って反発していたように思います。当の本人は何に対して反発していて、どう表現したらよいかわからなかったのだと思います。
先生方には恵まれたと思いますが、私のことを周りの大人もよく理解していなかったのではないかと思います。

しかし友達はたくさん出来て毎日友達と元気いっぱい遊んだことを覚えています。幼稚園の時は何の悩みもなく園児らしく、楽しい人生を送っていたと思います。

一つ面白い話があります。当時から私は大胆で自転車競走をすれば、ブレーキをかけないで交差点へ出てしまう子でした。そして案の定トラックに引かれて数メートル飛ばされたことがあります。
一緒に競争していた友人は急いで私の自宅に向かい、
「まなべくんが死んだ!」
と母親に伝えたようです。

驚いた母親が現場に到着してみるとなんと私は無傷であったのです。

私もトラックに引かれて宙を浮いた記憶はあるのですが、何故無傷であったのかはわかりません。

しかし今思うと天使が助けたのだと思っています。
最近になり個人預言で
「天使があなたを死から遠ざけてきた。貴方は生きた歩く奇跡だ。」
と預言されたこともあり、過去を振り返ると、あーそういうことか。と腑に落ちる経験をしたこともあります。

一番悔しかった思い出は栗拾いに行って、制限時間内に袋の中に大量の栗を集めて、クラスの中で一番か二番になるくらい栗を集めた後に、私の集めた栗の半分も集めていない園児と同じ量の栗しか持って帰れなかった事です。

園児ながら努力が報われなく、サボっても同じ結果というシステムに心底ガッカリし、モチベーションを下げさせられたことを覚えています。

大量に栗が入った私の袋を先生が取り上げ、栗が少ない友人の袋に何の説明もなく入れられた時の悔しさは強烈でした。

それ以外にもたくさん楽しい思い出はあるのですが、この悔しさが強く記憶されています。

そして今日のテーマである園児の頃の私の夢ですが、皆さんは何だったと思いますか?

今日の見出し画像が実際の私の幼稚園の卒業文集の最後のページの全園児の将来の夢を集めたページになります。

多くの子はサッカー選手や野球選手、幼稚園の先生やお花屋さん等々、幼稚園児らしい可愛い夢を選んでいます。

そんな中、私はただ一人、今の私からは想像できないような夢を選びます。

見出し画像に答えがありますが、わかりますか?笑






答えは



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「普通の人」でした。

当時担任の先生からしつこく将来の夢を聞かれていた私ですが、何もなく、ずっと答えなかったようです。
私も記憶しているのは、終業式か何かの時に母親も一緒にいた時に最後のチャンスと思って、再度担任の先生から将来の夢を聞かれて、

「なんもなりたくない!普通の人がいい!」

「普通の人って何?」

「普通の人でいい!!」

というやり取りをしたのを覚えています。

自分の中では夢を言うことが恥ずかしかったことが原因のように思いますが、母親はあまりに普通でない両親の人生を見て、逆に普通の人になりたいと思ったのではないかと分析していたようです。

しかし普通の子どもが憧れるような仕事や夢には私は一度も憧れたり、夢見たりしない子であったのは事実であります。

逆に社会や大人に対する違和感は年々増していったように思います。

幼稚園の頃からその片鱗を見せていたのだと思います。

私の表現できない反発心は

「なりたい仕事なんかない!普通の人でいい!」

という言葉になったんだと思います。
そしてサラリーマンの姿をした普通の人が私の園児の頃の夢とされたのです。

そして園児の夢は見事に叶わないことになるのです、、、。笑



あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。
詩篇8篇2節
(幼子と乳飲み子の持つ霊的な力は実はとても大きいものです。幼子の賛美や礼拝、喜びは敵(悪霊や暗闇)をしずめます!)


2020年、今が日本の時です!



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眞鍋 保
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