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今日のYOGA。「涼しさ増す季節/一番身近なはずの身体/閉じこめていたのは」
10/1
11:15。
新しいひと月が始まった。
いつもは気合を入れて
行なえるこの日のヨガなのに
今日はなんだかぼーっとしている。
ポーズよりも
頭に浮かぶ「考え事」の方に
意識が向いているようで。
こうして目の前のことに
集中できない時は
疲れがたまっている時だったようなと
過去の記憶がよみがえってくる。
欲をいえば
昨日のうちに疲れを取りきって
10月を迎えたかった。
それでも
「始まったばかりの今
気づけてよかった」と
気持ちを切り替えることに。
涼しさも増していく季節。
ゆっくりお風呂に入って
早めに眠ることを心がけようと
思わされた。
10/2
9:00。
ポーズを取り終えると
ふと力の抜けるところがあった。
「上腕(じょうわん)」だ。
疲れているとか
力が入っているとか
まったく意識していなかった
部分だったので
力んでいたことに
驚かされた。
自分にとって
「一番身近」なはずの
身体。
それでも、
気がつかないことが
こうしてほろほろと出てくることに
意識してみつけてあげないと、
と思わされる。
まだ手におえる
小さなうちに気づいてあげることは
年を重ねても
ずっとすこやかでいるためには
きっと必要なのだろうなとも。
10/3
8:55。
姿勢と呼吸を整えるため
15分だけヨガを。
17:40。
朝の短いヨガでは
物足りなさを感じ
またマットの上に。
朝のヨガでは
心が元気になるけれど
夕方のそれは
心を癒してくれるなと
久しぶりの夕方のヨガに
思わされる。
10/4
ヨガできず。
こういう日もある。
10/5
8:15。
一日ヨガをしなかっただけなのに
身体が固まってしまったようで。
時間のない朝だったけれど
15分だけマットに座ることに。
14:15。
時間を気にせず始めたヨガ。
終わって時計をみると
一時間半もたっていた。
そして、呼吸にもポーズにも
たっぷり時間をかけた中で
いかに全身がこわばっているか
にはっとさせられたことを思い出す。
まるで、ぎゅっと
何かを閉じこめていたかのように。
さらに、
その閉じこめているものが
「望み」なのかもしれないと
ポーズをとっている時に
浮かんだことも記しておきたい。
「何かしたい」という
気持ちが湧き上がってきた時に
周りの目を気にして
自分には実力不足だと思い込んで
やめようと
それが叶わないように
自分の中に閉じこめる
(半ば力づくで)
クセがあるのかもしれないと。
望みを叶えたい時、
泥だらけになって恥ずかしい思いを
するかもしれないし
人に笑われることがあるかもしれない。
それでも、
傷つかないよう日頃から
全身を力ませるよりも
身体の力を抜いて
「望み」を解放させて
あげることの方が
すこやかなのだろうな
傷はついてから
癒す方法を考えてもいいのかもしれない
そんなことに思いをめぐらせた
ヨガだった。
大切なことに気がつくことができて
自分と向き合うことができて
今日もヨガができてよかったなと
つくづく思う。