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今日のYOGA。「眠っていた身体が目覚めていく/自分の”ぬくもり”」
8/26
7:50。
ヨガを始めた頃に
好きになった「木のポーズ」。
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その理由は、
木への「憧れ」から
きていたのだと思う。
揺らがず、ただそこにいるという姿勢。
自分に足りないものとどこかで
自覚していたのかもしれない。
さて、この憧れがまだ強かった頃。
このポーズがかなり不安定だった。
ぐらぐらせずに終えられたら
「よし。」と思っていたほどで。
ところが、7年ほどたった今は
静かに安定している。
あのぐらぐらとしていた理由を
思い出せないのが切ないくらいに。
そこであらためて
揺らいでいた理由を振り返ってみると
身体をくまなく使えていなかった
ことが大きいのだと思う。
今は、ポーズをとるとなった時に
身体の各部分がそれぞれの役割を
果たせているように感じる。
たとえば、足の裏はしっかりマットに
「つく」ことをしていて
曲げている膝は
身体が安定するように
下向きに「ひく」ことをしていて
指先は全身を上向きの力で
「支えて」いて。
こう書き出してみると
ヨガを通して
ずいぶん「眠っていた」
身体の部位を目覚めさせることが
できているような気がする。
そして、そのことが
心にも自信を授けてくれている
のだろうなと思う。
8/27
ヨガの時間をつくれなかった。
こういう日もある。
8/28
18:15。
昨日できなかったので
今日はなんとか時間を作れてよかった。
夕方の、少し頭が休み始めた
ことを感じながらするヨガ。
その中で身体を伸ばしていくと
頭の休まり具合に
身体のそれが近づいていくような
感じがする。
頭と身体のバランスが取れていくと
心まで安心に包まれるようになるから
不思議だ。
久しぶりの夕方のヨガに
深いところまで癒されたようだった。
8/29
慌ただしい一日。
ヨガできず。
仕方ない。
8/30
5:25。
早く目覚めたので
ヨガをすることに。
外が心地よい時間帯なので、
ベランダに出て行なうことにした。
太陽礼拝を繰り返していくと
徐々に温まっていく全身。
朝の冷たい空気の中では
よりその温かさが浮き彫りになって。
それを思わず
ぬくもり、と表現したくなってしまった
ほどだった。
蚊と涼しさに負け、後半は
部屋に戻り行なうことに。
外の空気の心地よさの余韻に
浸りながらポーズをとっていた。
8/31
ヨガできず。
今月最後のヨガで
昨日、自分の温かさを
ほっとするものに
感じられたことはよかったなと思う。