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今日のYOGA。「過去にイライラ/大切な人のための”ひとり時間”」
9/14
8:10。
イライラすることが
思い出された。
「あんなことを言われたな」
「こんなことをされたな」
というようなことが
次々と頭に浮かんできて。
何年も前のことにも関わらず
まるで今それらのことが起きているかのように
頭も心もぎゅーっとなる。
でもある時から
イライラしている自分が「今」いるけれど
それらの出来事は「過去」にあるのだなと
視点が変わっていた。
そして、ヨガを終える頃には
「限られた人生。
“イライラ”に時間を使うのは
もったいない。」とさえ思うようになっていて。
一時間の中で
ずいぶんと成長したみたいだった。
身体を動かすことってやっぱりいいな。
9/15。
ヨガできず。
涼しさとあいまって
身体が固くなっていそうだ。
9/16
8:50。
やはり全身がカタい。
前屈をすると背中がぴりぴりするし
肩も上がったまま固定されて
しまっているといった感じだ。
その中でもとくに
カタさを感じたのは
「足首」。
ちょっと動かすだけでも
痛気持ちよくて
「伸び」をつよく実感する。
すると、あることが起きた。
頭のもやっとした感覚が
すっきりしてきたのだ。
これには驚いた。
日常、頭がぼんやりとしている時には
目元や頭をマッサージしたり
首を回したりすることが
多いけれど
脚のケアも大切なのかもしれない。
そういえば、以前も
脚を伸ばして爽快な気分に
なれたことがあった気がする。
頭がすっきりすると
心も晴れやかになる。
足首だからよかったのか
それとも一番カタくなっていたところ
だったから「効果」があるように
感じられたのか
これからヨガの中で、日々の中で
観察していきたいなと思う。
9/17
9:50
祖母をデイサービスに
送り出し
ゆったりと「ひとり時間」を。
その中では真っ先に
ヨガをしたくなってしまう。
普段は、愛してやまない祖母の声を
最優先に聞くことが多いけれど
こうして、ひとりになって
自分の身体や心の声に
耳を傾けることも必要だなと思った。
健康な自分があってこそ
大切な人を大切にできると
信じてやまないので。
それでもこうした時間は
意識的につくらないと
生まれないもの。
これを日々つくる努力をし
「ささやかな声」を
聞き逃さないようにしたいなと思う。