Good will hunting
マット・デイモンと彼の親友ベン・アフレックが若年で脚本を書き、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞の多部門で受賞のある名作。
善くあること、賢くあること、生を全うすること
その全ての尊さと脆さを感じさせてくれる作品。
それでいて、最後には爽やかな風が心に吹く作品。
貧しく学は無いが、飛び抜けた知能を持った好青年が能力を見出され成功の切符を手にする、そんなありふれたハリウッド的アメリカンドリーム映画
ではなかった。
個人的に感じている事だけれど、人は皆(だと思っているだけで実はこんなに自意識過剰なの私だけなのではないか、と思うこともあるけれど)、自分がコントロールできる分の自分像を外界に向かって投げかけている。
「周りが良く見えてる」「自分をしっかり持っているよね」
そうでしょう。だって、私が私に公開許可した自分はそこまでだから。
たまに朝起きた時から顔も洗わずに一日をベッドの上で終えること。
たまに自分がどうしようもなく疎まれる存在なんじゃないかと思える日があること。
家族の行動を疎ましく感じることがあること。
そんなの門外不出だもの。
アスリートは途轍もなくしなやかで強い。
彼らは、自分も知らない自分の極限を常に観衆の前でさらけ出す。これまでの自分が知らない速さで走ったらどうなるのか。自分も知らない自分に怯むことなく挑み続けている。
私なんか、自分が知ってほしいこれっぽっちの自分しか外に出せないというのに。しかも、自分が大切にしたい人にほど臆病になる。
彼に、私のすべてを見せたらどう思うだろう。それでもこれまでと変わらない想いを向けてくれるだろうか。これまで通り近くにいてくれるだろうか。
それは、相手に対する恐怖ではなく、彼という拠り所を持ってしまった自分に対する不安。
そして何より、何かを外に表すことは、その何かの存在を自分が認めることになる。途方もない恐怖。
でもね、時に人は無条件に自分を愛してくれて受け止めてくれる人に出会ったりする。
その時に自分を認めてあげられる準備はしておきたい。
ホップ・ステップ・ジャンプで軽やかにしなやかに自分の脆さを開示できる人になっておきたいな。
なんてまた、徒然と思うのです。