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切実な音楽、個性、自分だけの解釈

久々のnote。最初は特に理由もなく
Threadsに呟いてたのだけど、
ついさっき呟いた内容が
Threadsに書くには長すぎる&個人的な話すぎるかなと思って、noteに戻ってきました。

この前のレッスンでショパンのプレリュードを
演奏して、言われた言葉。

While you are playing, find new discoveries every time.
Stay active and creative all the time.


「とても美しいし、素敵だけど
何かが足りない。あまり感動しない。
毎回何か新しい発見を感じながら弾いてほしい
常にアクティブに、クリエイティブに。」と。

ずっと同じ曲を弾いてると、表現がマンネリ化してきて、目の前の音楽に対して新鮮な感じ方ができなくなっている自分がいて。

そんな私の演奏を聴いて、先生が発した言葉。
うすらと自覚はあったけれど、
ずしりと重く心にのしかかった。
表現の道は果てしない。。と途方に暮れるような気持ち。
そこから改めて考えたのは、
音楽に向き合う自分の姿勢を
見直そうということ。

写真はレッスン帰りの風景🌃

本当に自分の心の奥底から生まれて人の心の奥底に届く切実な音楽をするには、
既成概念を一旦全て取っ払って
自分1人だけで真っ向から楽譜と向き合う
勇気とプロセスが必要で、

どこかで聴いたことがあるような
世間一般でよく弾かれるような、
借り物の解釈を
気付かぬうちに取り入れてしまうのではなく、
新鮮な心で捉え直して
自分の心から生まれた音で演奏したい。
そのためにはピアノから離れて
楽譜を机の上に置き、
作曲家と1対1で向き合う。
強弱、フレージング、構成、調性、リズム、
メロディーライン、細かなアクセントや
曲想に対する指示、作曲家自身の歩んだ人生や
そこから生まれた作曲家の美学や思想、
作曲背景、どんな性格の人だったか、
そういう風に色々な側面から、
作曲家自身とその遺された記譜と向き合い、
考え尽くすしかないということ。

そういうプロセスを経てこそ初めて
真に切実な自分だけの音楽解釈(自ずと滲み出る個性)が生まれるんじゃないかと思う。
そういう音楽は人の心に深く届く。

個性は出そうとして出るものではなく、
その人自身と音楽との
深く妥協のない対話を経て、
ようやく自然と滲み出るものだと思う。
上っ面では、結局人の心に届かない。

このプロセスは
果てしないけど、だからこそ奥深く、
どんな解釈の可能性もある。

演奏家というのは、
作曲家が生きていた時、心の中に鳴っていた音楽を、楽譜から読み解き、現代に蘇らせ、
聴衆に届ける、媒介者だと思っている。

だから、作曲家へのリスペクトが感じられる演奏が好き。作曲家のメッセージを伝えるために
私たちがいる。

そういう姿勢を持った上で、
音楽との内なる深い対話を経て、
誰にも真似できないような、
その人がその人であることの証が見えるような個性が、随所の表現に感じられる演奏には
やっぱり深く胸を打たれる。
なぜなら、そういう演奏は、
その人自身の深いところとの繋がりを感じる
音楽だから。

という、まとまりのない書き留め。

音楽家として、ありたい姿を再確認し、
身が引き締まる思い。
果てしないし、正解もない。

クラシック音楽ってやっぱり
奥深くて難しいけど、面白い。

演奏を聴けば、人となりも生き様も
透けて見える気がする。

だから音楽家以前に、
人としての自分を高め、
そして感性を、日々磨きたい。

夜のワルシャワ🇵🇱


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東海林茉奈
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