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ドラクエにはなぜ「ぱふぱふ」が必要なのか

「なぜドラクエには、ぱふぱふが必要なのか」。むかーし読んだ書籍の内容が、いまだに印象に残っています。

コンテンツにおける「抜け感」の重要性についてふれる事例として「ぱふぱふ」を挙げていたんだけど、今のコンテンツコミュニケーションに必要なのは、まさにぱふぱふなんじゃないか、とも。

情報密度が濃くて、世界観に入り浸らせすぎても人って飽きるし関心を失う。だからこそあえて、物語が進んだタイミングでめっちゃ異質かつ、制作者の顔を見せるような、要するに「あそび心」の要素があるかないかが、実はその後の「没入感」をも大きく左右する。

テキストコンテンツでいえばちょっとした挿絵とかもそうだろうし、書籍に挟み込まれる「筆者のコラム」もそうかもしれません。

これらの「あそび」要素は、読者や見ている人を置いてけぼりにしたものではだめで、どう読む人に寄り添いながら、「ちょっとここいらで一息入れませんか」という要素を入れるかというのが大事。そしてこの辺の「寄り添い」要素こそ、AIが配慮しづらいポイントだったりするような気がしていて、実はこれからの時代のコンテンツに必要なのは、「ぱふぱふ」的な要素なんじゃないかなあと強く思ったりしています。

遊び心は「意識して発揮すべきもの」なのか

ただなんというか、「難しい」とは書いたものの、こういうのって「やろうと思ってやる」というよりも、自分が思う読者に対するホスピタリティを発揮していたら、「自然とできちゃう」というのが大事なんじゃないか。

好かれようと思ってやるんじゃなくて、読者目線で工夫することを楽しんでいたら、結果的に自然とそうなってる、みたいな状態が本質的なんだろうなぁ。

そう思うと、自分が「これだ」と思えるテーマ、「この読者のためなら」と思えるターゲットに出会えることって、ホント大事だよなぁと。

今自分が作っているコンテンツに「ぱふぱふ」的な要素はあるかどうか。読者へのホスピタリティをもって「遊び心」が発揮できるような状態でありたいものです。

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