横浜フェスのトークショーとパターソン氏、グレイグさん
フェスの準備が行われている10日の土曜日は、恵比寿の仕事場で一日中ガロアの原稿、そして25日(日)に行われるマスター・オブ・ウイスキーの試験問題作成におわれる。その合い間にトークショーの準備をして、午後5時50分に恵比寿駅からタクシーで南青山に向かい、6時半からウルフクレイグのローンチイベントに出席。
7日の水曜日に六本木の水楢カスクでインタビューしたばかりで、パターソン氏やジェイミーさんに会うのは3日ぶり。イベントにはウルフクレイグのグローバルアンバサーダーを務める、グレイグ・レイドローさんも来ていて、初めての挨拶を交わす。グレイグさんはもちろん、ラグビースコットランドチームの代表キャプテン。クォーターバックとして日本チームを苦しめてきた名キャプテンだ。実際お会いしてみると意外に小柄なのにビックリ。今は日本のクラブチームでコーチをしているが、一方でウルフクレイグのアンバサーだとしても活躍しているのだ。
イベントは8時半に終了し、再びタクシーで渋谷に出て、そのまま、みなとみらい線で横浜の馬車道駅へ。歩いて3~4分ほどのところにあるアパホテルにチェックインしたのは10時過ぎだった。フェスの準備からガロアの原稿、マスターの問題作りと休む間もなく動いてきたせいか、どっと疲れが出ている。そのまま就寝して、11日の朝6時前に起床。準備をしてすぐにホテルをチェックアウト。会場となるパシフィコ横浜には8時前に到着。すでに準備ができていることは確認してあったので、すぐに正面ステージ横の本部席に行きトークショーなどの準備、確認を行う。
フェスは10時に予定通り開会。例によって開会の挨拶をして、すぐに10時15分からトークショーの第1部が始まる。6人が登壇する“日本のクラフト、新規蒸留所大集合①”で、45分のトークを会場のオーディエンスだけでなく、Youtubeでもライブ配信を行う。それからトークショーは②③④と続き、すべて終了したのは第2部の5時半!!トータル3時間にも及ぶトークショーの司会を務めたが、本当に最後は疲労コンパイで、立ち上がるのもやっとだった。その間にもいろいろな人がやってきて、その挨拶、名刺交換、写真撮影が続く。昼休憩の2時10分からはBSフジのウイスキペディアの特集のインタビューも入り、立っているだけでフラフラだ…。つくづく、1日に4つのトークショーはやるものではないと、思い知った。
ただ、これも私たちがテーマに掲げる“次の100年のウイスキー、100年後の飲み手たちへ”のためであり、全国にYoutube配信したこと、そしてテレビインタビューに答えたのも、ウイスキーの灯を消してはならない、ウイスキーの文化を守るための布石だという想いがあったからだ。インタビューの最後に話したが、今私たちが次の100年のためにやらなければばらないのは、ジャパニーズウイスキーの定義の法制化だと思っている。そのためには、どんな犠牲もいとわれないというのが、私たちの考えだ。その第一歩が、このフェスで踏み出せたとするなら、ありがたいことだと思っている。
とにかく横浜フェスは無事終了し、次は5月の琵琶湖ウイスキークルーズと、6月最終週の大阪フェスである。大阪フェスは今回2日間開催と、ウイ文研としても初のチャレンジだ。これもウイスキーの灯を消さないための、せめてものチャレンジで、それに向けて今から準備を始めないといけない。
そういえば、フェスの第2部の最後のほうで、パターソンさんと、グレイグさんがサプライズで登場してくれた。これで今週お会いするのは3回目!!そのまま夜のフライトで帰国の途につくというパターソンさん。本当にありがたいことで、疲れも吹っ飛ぶ思いがした。次はぜひ、ウルフクレイグで会いたいと思っている。