【超・瞑想力(本編)】悩みに振り回された幼少期の体験
超・瞑想力の内容を無料公開します
この度、私の発著作になる「超・瞑想力-悩みを楽に超えていく方法-」の一部をnoteにて無料公開していこうと思います。
超・瞑想力は単なる瞑想法を紹介した本ではありません。
私たちが悩みを超えていくための心へ介入していく力について解説した本になります。この力のことを超・瞑想力と呼びます。
もちろん、超・瞑想力を培うための瞑想法なども紹介しています。
実践すれば、確実に超・瞑想力を培うことが出来ることでしょう。
そして、悩みを超えていく力が培われているはずです。
私、心庵まもるは瞑想の輪を広げていくということも一つの使命として勝手に掲げています。
瞑想実践研究家として、まとめている本書の内容を公開することで、少しでも新たな瞑想の輪が広まることを期待しています。
今回の公開部分は「悩みに振り回された幼少期の体験」になります。
悩みに振り回された幼少期の体験
悩みを超えていく!などと勇ましいことを述べましたが、こんなことを聞くとこの本の著者は随分とマッチョなタイプであるという印象を持たれたかも知れませんね。
「悩みなどに負けない人なのだろう。」こんな風に感じたかも知れませんが、私は今でこそ超・瞑想力がついた御蔭で悩むことは激減しましたが、幼少期は、些細なことをクヨクヨと悩む内向的な子供でした。
しかし、超・瞑想力をつけた事で心の中の悩みを超えていくことができるようになったのです。超・瞑想力。それは、まさに本書のテーマになります。著者の幼少期の体験がこのテーマに実は直結しています。自分語りになってしまいますが、少しだけ、私の昔話にお付き合い頂ければ幸いです。
先ほども述べましたが、私は幼少の頃はとても内向的で引っ込み思案なタイプの子供でした。
いつも、頭の中では空想をふくらまし、人に何かを伝えるのが苦手。その上、人の言動や顔色が常に気になる性分でした。いつも頭の中では様々な思考が渦巻いて、心はいつも暗く重い。そんな状況が続いていたのです。
子供なのだから悩みなどないだろう。そう思われるかも知れませんが、子供には子供の悩みがあります。
学校はつまらなくても行かなくてはならない。行きたくないのに我慢して学校に行くから授業などもボーっとして集中していません。
当然、勉強にも身が入るはずもなく。成績も芳しくありません。成績が悪ければ親に怒られ、先生に怒られ。
面白くもない毎日が続きます。おまけに生まれて一歳で気管支喘息が発症し健康状態も良くありませんでした。そのため典型的なもやしっ子に育ったのです。
環境の変化やストレス、様々なことが引き金となり喘息の発作が起こります。そのたびに病院に担ぎ込まれ、酸素吸入を行い、薬剤の点滴を受ける。
うんざりするような健康状態に心も折れ、気づけば私の頭の中は、様々な苦しみのことで一杯になっていました。
次はきっと何か悪いことが起こるに違いない。そんな風にビクビクとした考え方が心の中に染みついていたのです。
心は重く暗くなり、何もかもが嫌に感じていました。これが私の幼少期の状況です。
ちょっと、暗い話になりましたが、ここから少しずつ変化が訪れていきます。
そのきっかけとなったのは、ある日、お風呂に入っていた時のことです。湯船につかり、身体も暖かくなり血行が良くなっている。
そんなことを心地良く感じて、私はひとり眼をつぶり湯船を楽しんでいました。その時、ふと閃いたことがあります。
お風呂の中でくつろいでいる間、私の心は穏やかだと気づいたのです。言葉にすれば何のことはない。細やかな体験です。
しかし、毎日が悩みや葛藤で心が重たかった私にとって、それは格別に心地の良い体験でした。
心の中の喧騒が鎮まり静寂が訪れる。詩的な表現をすればそんな言葉になります。
私は、しばし、その体験を楽しんでいました。すると一つアイデアが心に浮かんできました。
「いつも悩み葛藤している自分と今、心地良い状態でいる自分は別人なのでは?」
子供の妄想といってしまえばそれまでですが、当時の私が素直に感じたことでした。
自分とは何だろう?心とは何だろう?この時、はじめて私はこのテーマに向き合うことになったのです。
まとめ
今回は第一章の「悩みに振り回された幼少期の体験」の部分を公開しました。
このトピックでは私の幼少期の体験を少しお話ししています。
何がきっかけで瞑想の世界に誘われたのか。そのエピソードを紹介しました。
また、続きの本文の内容も逐次アップしていきます。
実際の内容をいち早く読みたいという方は、以下、販売ページからご購読頂けますので、ご検討をお願いします。
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心庵まもる
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