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「日本人は暴力が嫌い」なんてことはない(ウィル・スミス騒動で思ったこと)

さらに昨日の続き(?)です。

この事件の日米の反応を見ていて、その違いに驚きつつ、とても興味深いと思いました。

日本では、「手を出したウィル・スミスも悪いが、侮辱的な発言をしたクリス・ロックも悪い」という反応がかなり目立ってます。
ウィル・スミスを擁護する意見も多数見られます。

ところが、アメリカでは、「ウィル・スミスの方が悪い」という論調が大勢を占めてるんですよね。

本国での反応は、猿渡由紀さんの記事に詳しいです。

米アカデミーはウィル・スミスを非難したけど、クリス・ロックを非難してない。
ウィル・スミスは謝罪したけど、クリス・ロックはしていない。
アメリカでは、そういう判断になる事件なんですねぇ・・・

前回の記事で法的な解釈を書きましたが、身近な人に実際に起こった出来事があったから、法律を持ち出した次第です。

私の知人に、居酒屋を飲み歩く会を主宰していた人がいました。
そのメンバーの中に、酔っぱらうと暴言を吐いたり、他の参加者に対して侮辱的なことを言う問題児がいて、その人が参加すると、場の雰囲気が悪くなっていました。
ある時、怒りが爆発して、知人は問題児を殴ってしまいました。
ケガはなかったのですが、問題児が怒って、「訴訟を起こす!」とゴネたので、弁護士に相談して、何とか示談に持ち込みました。

結果的に、問題児はお咎めなしで、知人は謝罪した上で、示談金を支払いました(もちろん弁護士費用も発生)。

日本の法体系も、欧米の価値観で作られていますから、論理的に考えるとアメリカでの反応は納得できるんですが、最初は不思議に思いました。

アメリカは暴力事件が多いし、映画では何ちゃらマンが正義の名のもとに、ボコボコ暴力振るってるし、普通の市民が銃を持ってて殺傷事件も頻繁に起きてるし、そんな社会で、侮辱した相手に平手打ちで制裁したくらいで大騒ぎするの??? と思わず思ってしまいましたが……

逆に考えると、暴力と背中合わせにある社会だからこそ、「暴力は悪」として、厳格に取り締まらないと、社会秩序が成り立たなくなってしまう――という側面もあると思います。

そう言えば、このニュースを見た人が、野坂昭如と大島渚が、パーティーで殴り合いした一件を挙げていた人がいました。

30年以上も前の話なんで、現代と比べるのはフェアじゃないんでしょうけど、この頃って、普通に日本で暴力が横行していたなあ・・・と思います。

僕自身、高校卒業まで、教師から日常的に体罰を受けていた(竹の棒で殴られたりしていた)し、いじめや喧嘩で暴力沙汰が起きることも日常茶飯事でした。

会社に入ってからも、会社の飲み会の帰り道で、先輩が新入社員に蹴りを入れているシーンを見たこともあります。しかも、上司(その部の部長)はそれを見ていて注意もしなかったんですよね。10年ちょっと前のことです。

今回のウィル・スミスの一件で、ネット上では「言葉の暴力は許されるのか?」みたいな意見も多く見られたんですが、「言葉の暴力に対して、身体の暴力で応酬したんだからどっちもどっちだ」というロジックは、少なくとも現在の日本では、社会通念的には通用しうるんですよねぇ・・・

「理不尽な暴力は許されない」というのはアメリカも日本も同じなんでしょうけど、「理由のある暴力は許される」という解釈は日本の方がしがちだと思います。

前の記事で出した「忠臣蔵」についても、最初に刃傷沙汰を起こした方が罰せられましたが、庶民はそれを正当だと思わないからこそ、この物語は成立しているんですよねぇ。。。

学校部活や会社で「教育」という名のもとに暴力が振るわれることを許容している人は、いまでも少なからずいそうな気がします。

どっちが良い、悪いということではなくて、同じ民主主義社会に属し、一見して同じような法体系や価値観を持っているように見えても、物事の是非の見方って結構変わるんだなあ・・・ということを実感したんで、長々と文章を書き綴った次第です。

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