桜が咲く頃、エスプレッソを片手に本を読む
待ち焦がれていた春の日差しがようやく訪れ、都内各所で満開を迎えた桜を見逃さないようにとせっせと足を運んでは写真に収めていた。気が付いたら新学期を迎え、もはや新たな趣味となっている区立図書館の開拓をしながら研究のための参考文献を収集する日々だ。ふと最近の些細な出来事について記録を残したいと思い立ち——ほとんどの場合に小説を読んだ後にそうした執筆欲が湧いてきて今回も例に漏れずそういうことなのだが——読んだ本や訪れた場所など、勢いに任せてあれこれと書いてみたい。
加藤晴久 (2015)『ブルデュー 闘う知識人』講談社
あのブルデューと親交のあったという加藤氏による解説書だ。ブルデューの生み出した知の体系がどれほど社会科学の発展に寄与してきたかについては言うまでもないが、文化資本の概念との出会いが私にとってどれほど強烈なインパクトであったかについては少し語っておきたい。
これまで自分がどうして大学で社会における少数派の研究に無意識に関心を寄せてきたのか振り返って考えてみても特に思いつかず、何か特別な理由があったわけでないように思えた。そしてそれでよいと考えていた。なぜならマイノリティに寄り添うのは絶対的に「良いこと」であり、自分には他人を思いやることができる慈悲の心と、自分とは一切関係のないように思われる差別の被害者を研究対象として捉えられる社会学的想像力があると得意気に思っていたからだ。しかし大学の性格上それまで過度に学際的であった故に自分の学問分野が定まらず迷走していたところ、何とか社会学に行き着いてブルデューを学んだことで一気に視界が開けてそれまで意識してこなかった階級について考えるきっかけを得た。そうすると自分の社会的な生い立ちと大学に至るまでの学歴上の経路における強力な上昇志向、その過程で確かに感じていた周囲との差異とそれ基づく違和感などを自分なりに考察する力とそれを語るための言葉を持てるようになった。どうして〈私〉と〈彼ら〉はこれほどまでに異なるのか、文化資本に基づく行動様式=ハビトゥス概念はその一応の解に私を導いてくれた。そして自分はある社会学的観点からして少数派であるということの自覚は前述の学問上の動機の問いに対する明確な答えとなった。それは無意識ではあったが自分事だったのだ。
話は加藤氏の著書に戻るが、その本はブルデューの諸概念の解説のみならず彼自身の生い立ちを追うことによりそれらの社会科学の知が誕生した背景を探れるようになっている。ブルデューは階級制度の根強いフランスで田舎の郵便局員の息子として生まれ、その学校での卓越した成績故にやがてパリの上流階級出身のエリート候補生らと出会うことで周囲と自らの差異を認識し克服していった。これはかなり乱暴な要約ではあるが、彼にもそんな背景があったということを知れたことの収穫は大きい。ちなみに「あとがき」では加藤氏もまたブルデューの諸概念により自身の過去の体験を分析することができたと語っており興味深い。このように社会学を学ぶことは就職活動では定番となっている、選考対策のための即興的な自己分析よりも遥かに視界を明るくしてくれるはずだ。
豊田義博 (2010)『就活エリートの迷走』筑摩書房
これは率直に面白かった。本書は「就活エリートの社会学」とも換言できる内容で、採用の現場に長年いる豊田氏の経験から就活生の全体像を俯瞰して分類しており、病理的な現行の就活システムと、それに巧みに適応して多数内定を獲得するも描くように強いられた理想と入社後の現実とのギャップにもがき苦しむ「就活エリート」を巧みに分析している。伝統的な日本企業の採用担当者を主な読者に想定しているのだろうが、この種の社会学的分析が好きな学生の私にも刺さった。日常生活において意識してもしくは無意識に同質的な集団から脱落している私には同世代が繰り広げているらしい競争を就活サイトにある不確かな情報でしか確認はできないのだが、それでも私もこの「ゲーム」に参加する就活生であるために当事者として共感できる点はかなり多かった。
余談だが就活に関しては友人を通じて欧州の就活の仕組みを知っているため個性的なガクチカ(=学生時代に力をいれたこと)を求めるようで逆説的にエピソードや書き方がマニュアル化されて結果として没個性になる就活生と相変わらず学生にそれを求め続ける企業が対峙する日本の形式的な実態には違和感と反発を感じざるを得ない。また本書にて指摘された入社後の現実と採用活動で謳われている理想とのギャップなど、新卒の社会人の先輩の話を直接的に聞くもしくはインターネット上の信頼できそうな筋で口コミ情報を収集しさえすればそれを見抜くのも案外容易いという気がしている。実際に私自身は就活に割り切って臨めた方だと考える。というのも第1希望の1社の本選考にエントリーし面接を重ねた結果すんなり内定し、条件等を勘案して承諾したので早期に就活を終えられた。知名度は低いがよく調べると優良なその企業に出会えたという運も味方しただろう。
本書の発刊は2010年だが内容的に古びているという印象は特になく、悪しき就活を脱構築するための良本だと考える。これからこの就活に挑むであろう後輩諸君には決して『絶対内定』などではなく本書と鈴木祐氏の『科学的な適職』を推薦するつもりだ。
いくつかのコーヒー店で
宣言通り勢いに任せて書いていたら不覚にも最近読んだ本のレビューだけで終わってしまいそうなので、この終章では最近訪れたコーヒー店=カフェで感じた儚い感情を、消え去ってしまう前に書き残しておきたい。
以下の2つのコーヒー店のうち、1つはバイト先であり、私がバリスタとして働いているという点から始めなければならない。カフェ自体は留学前からもよく行っていたものの味云々という動機からではなかったし、正直なところコーヒーの味の違いもよくわからなかった。そんな私でも本場のイタリアと食後に毎回必ず飲む習慣があるというポルトガルでエスプレッソを味わうとその魅力の虜になった。そこで留学後から高級なエスプレッソマシンを扱う本格的なお店で働き始めたのだが、コロナ禍が収束してきたことで外国人の観光客が日に日に増え、彼/彼女らとの会話は楽しいが業務はまあ忙しい。
幸い人間関係はすこぶる良い。かつては営業不振だったカフェを立て直した敏腕な経営者とまだ比較的若い(と言っても私より年上だが)現場責任者の店長、それから従業員たち。そこは私にとって学歴層の異なる人間が出会う貴重な場であり、こう言ってよければフィールドワークの場なのだ。過去の経験が異なれば例えば人生観も異なり、関心のある話題も日常的に選択する語彙もコミュニケーション方法自体も異なる。その同僚らはやや異質な私を主に語学力の点で評価し自分との違いを認めているが、それは結果としての差異として浮かび上がっているだけで原因としての差異にも目を向けたなら私の家族に僅かながら文化資本の蓄積があり留学する機会にも恵まれていた事実を公平に認めなければならない。彼/彼女らが過大評価する差異の源はほとんどそれだけであって先天性の優れた資質ではない。しかしこの差異が人生の可能性を大きく変えてしまうのである。勿論、これは自分が特別だと喜んでいるのではない。純粋なメリトクラシー(能力主義)的言説を否定し不平等に働く力学を冷静に見つめるための試みをしているのだ。
蛇行する議論はこの辺にしてただ嬉しかったことを羅列してみよう。直近の勤務で私はふと最高に幸せな気分になった。それはなぜか。新入りの同僚が私が裏で経営者と店長に評価されていると教えてくれたこと、その前の週に臨時でシフトに入ってくれたホテル業界志望の専門学生の女の子の丁寧さと愛嬌が大変素晴らしかった上に当時のシフトの同僚と私を気に入って正式にお店に加わってくれるらしいこと、海外のお客さんと安藤忠雄の建築様式と直島のアートの話で盛り上がったこと、お昼休憩中に近所のお弁当屋さんを見つけその照り焼きチキン弁当が良心的な価格で美味しかったこと、天気が良かったこと、昼下がりの公園で聴くnever young beachの"A Good Time"がとても爽快に感じたこと。これらのいくつかの小さな幸せの複合的な構成が本当にかけがえのない幸せに感じた。月並みだろうか。
やや冗長ではあったが1つ目は以上で、最後に2つ目のコーヒー店についても言及しよう。自宅から自転車でも移動可能な範囲に何ともクールな北欧風のカフェを見つけたのだ。最近はバイト先以外ではオールドファッションだが世間の流行でもあるサイフォン式の喫茶店ばかり行っていたが、このお店は見事に期待に沿うようにイタリア製の高級マシンで抽出したエスプレッソを提供していた。まず店先にシンプルで機能美のある木製チェアと観葉植物が見事な等間隔で並置されており、店内に入るとコルク板を一面に張り付けた印象的な壁が目に付いた。それから洗練されたターコイズブルーのタイルのカウンターがとにかく美しい。たぶん30代の女性がレジで対応してくれたが彼女の人見知りではなさそうだが控えめな雰囲気もとても良い。私は昔からこのタイプの女性の友達が多いこともあり、クィアな心地良さを感じずにはいられなかった。共通項がある自信はないが友達になりたい。こういう時にバリスタだと自己開示することは自己顕示欲を露呈するようで気が引けたが唯一の切り札だったのでそうすると、彼女は思いのほか興味を示してくれて話が弾んだ。その隣にいたWout Weghorstにそっくりな同じく30代に見えるオーナーも人柄の良さそうな人だ。道中は完全にカフェラテの舌であったがバイト先では夏季限定のエスプレッソトニックを見つけてついそれを注文し適切な音量で流れるSoulミュージックで居心地が良かったので閉店時間まで滞在した。帰りにお店を出る時に私のバイト先の出勤日から研究テーマまで尋ねれてくれて、そこから私のバイト先やこのカフェの支店が主に外国人の観光客で忙しくなってきているという話で盛り上がった。
このような出会いが本当に好きだ。これだからよく知っているはずの地元の周辺であっても街歩きはやめられないし海外旅行もまた早く行けるようにと切に願っている。
さて、冒頭で軽く触れた小説とは村上春樹の短編集『一人称単数』であるがまだ読み終わっていない。そうしている間にも彼の長編の最新作が発売されもしかしたら一部の地域では本屋さんの前に長蛇の列ができたりなんかして爆速で売れ続けているに違いない。
私もここでそろそろ筆を止めて小説に戻ろう。そして研究テーマに戻ろう。
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