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絵本『あんなにあんなに』にやられた(涙)
ヨシタケシンスケさんの絵本はどれも好きです。
職場でちょいとおヒマな時間に(情報収集という名目で)「読んだことない本があるな〜」と何の気なしに手に取ったこの絵本。
ジワる・・・
という表現が何より相応しい感情が波のように押し寄せてきました。
家庭中心・子ども中心に暮らしてきた主婦の私にとって、一大事業である「子育て」の終わりを迎えている今、ちょうどツボにハマったということなのでしょう。
子の巣立ちはある日突然というより、少しずつ少しずつ形を変えながら終わりを予感できるようになり、母親の自分の手が届かなくなっていくのだと実感します。
私は、現在進行形で進んでいる子育ての終わりの時を味わっているところなのです。(私の感覚です。もう終わっているのに固執しているだけかもしれません。)
母と子の関係は特殊なのだと、どなたか忘れたけれど心理の専門家のYouTubeで聴いたのが、頭の片隅に残っています。
一般的に、人の交流というのは時間の経過とともに深まって距離が縮まっていくものです。
ところが、母と子は、体内で一体化したところから分離し、成長するにつれ少しずつ共有しない時間が増え、子が自らの意思をもって親と異なる選択をする機会が生まれ、親が子の行動を把握しきれなくなり、時間も物理的な距離も次第に離れていく方向性にある、と。
一般的な関係とは反対に遠ざかっていくのが正常な方向性だというのです。
けれども、そこに不安を抱かず信じて手を放すことが、まさしく親子の絆と呼ばれるものなのだな、とようやく思えるようになりました。
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軽くなる
満ちてゆく
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さて、『あんなにあんなに』の絵本。
ページをめくるたびに繰り返される言葉
「あんなに あんなに」。
それに添えられる絵は
「いま こんな」姿。
あんなに小さかった子がこんなになって‥というアレ、よくありますよね。
成長の過程の今を切り取った姿が1ページずつユーモラスに描かれていきます。
そういえば私も、成長に感動する一方で、子どもがやらかしたり一丁前のことを言ったら
「あーあ」
と思ったことを思い出しました。慌てたりイラッとしたりホッとしたり‥振り回されてました。(泰然となんてムリ💦)
成長って感動ばかりじゃなく、失敗やビックリもたくさんあるんですよね。
なのに、まとめて走馬灯のように振り返ったら・・・
「あーあ」
までもが懐かしく愛おしい気持ちで蘇ってくるから不思議です。
ヨシタケさん、にくいテクニックですわ〜
また読み返そうっと。
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さて、感想文と見せかけておいて、ここからは私の長男の話をします。
興味ない人はここまでで。
私の子育ては、この絵本のように順風満帆ではちっともなかった・・・
時間の流れは世間とかけ離れて、それでも何とかなるようになった今ですが、娘の話はできても息子の話は書く手が止まってしまい、記事にした回数は少ないです。
今日は少し吹っ切れたので書けそうと思いました。
先週から、長男が九州に移り住みました。
少し昔の話をさせてください。
マイペースで頑固な長男。おそらくASD傾向。「超」がつく進学校で高2の冬に不登校。
学業不振とかイジメとか明確な形はなく、大量なタスクや、部活や行事の役の重責や、思春期の人間関係に押し潰されたような倒れ方でした。4ヶ月程で授業に復帰したものの受験はふるわず、親元から遠く離れたい一心で「とりあえず」関西の大学に進学したけれど間もなく通わなくなり、休学を経て中退。
地元に戻って専門学校を卒業をしても、就活に耐え得るメンタルは調わず、アルバイトを少ししながらのニートな暮らし。実家に住むのは絶対イヤと言って一人暮らしを続けていました。
それを許した私達夫婦は親バカ中の親バカと自覚していますが、発端は思春期専門の精神科医からの勧めだったので、長らく一人暮らしを援助して今に至ったというのが言い訳です。長すぎた‥
少なくとも完全な引きこもりにはならずにいたから、誰も(自分を含め)責めないことにしています。
そんな長男が、知り合いを頼って、仕事も決まらないままに土地を変えることにしました。
腑に落ちない部分も多いのですが、大局的に
私も夫も悪くない決断と思いました。
丁度セレンディピティが働いたと思えるような事も続きました。夫や娘や親友など近い関係者が次々とその土地に旅行や仕事で(本人の意思というより計画されていた通り)訪れることになったのです。その偶然が私を後押ししてくれたのは事実。
引越し代は長男が準備していました。アパート代は親から一年分援助。その後は知らん、とにかく自活してくれ、と伝えました。金は他人に借りるな、とは言いましたが。
すでに親のスネどころか膝ぐらいまで消えてるので、踏ん張って自立してほしいところ。
自由人すぎる25才。
損得を全く考えに入れられない人。
でも、私が結婚した年齢だと気づいた時に、手を離す以外の選択肢はないと、急に諦めがつきました。
今まで、生活の面倒を見ているからという理由で、時々お惣菜を作って届けては暮らしぶりを観察してきたのですが、つい甘やかしてしまうし、干渉できるわけでもなくモヤモヤしていました。
見れば気になるのだから離れればいい。
思い出せば25才の私も結婚したとはいえ、まだ子どもっぽくて危なっかしい判断ばかりして、その後もたくさん間違えて生きてきたのだから。でも何とかなりました。
前々から、私自身の課題として子離れを自分に言い聞かせてはいたので‥案外センチメンタルにならずに済んでいます。そんなことにホッとしています。書くと情けないな‥
気を遣ってか、直後に大学生の長女が実家に顔を出し、泊まっていきました。
親の気持ちが解る優しい娘に感動。堅実なのは誰に似たのでしょうか?
老後、娘に苦労をかけたくないなぁ。
ちなみに、雲の上を歩いているような長男は
私とめちゃくちゃ気が合います(゚ω゚;)トホホ
避けられていた一時期を除き、何時間でも話していられます。中学生の頃もわりと饒舌で、ママ友に羨ましがられました。
息子の主治医の言葉からは「共依存」を指摘されている感じでした。(ハッキリと専門用語は使いませんでしたが。私が自分なりに学んでアドバイスの傾向を鑑みて腑に落ちている感じです。)距離が近すぎる母と息子、良くない影響を与えてしまうのは想像がつきますね。
想いが通じないと苦しくて、裏切られたような気がして感情的になる。カレシでもないのに心が千々に乱れる。
実際、息子の言葉は歯が浮くほど優しいのに
行動は親孝行の対極をいく人。
結果的には、嘘ついていたのか‥と思わされ
勝手に傷つく事態が繰り返されていました。
充分、楽しんだし苦しんだ‥
もう知〜らない!せいせいした!
カレシにしたら苦労するタイプ!
さよならベイベ!
執着したのは私のほうでしたね。反省。
物理的に遠く離れるのは有効だと感じます。
長男の自立と私の心の安寧に役立つと解りました。
ヨシタケさんが描くラストシーンは私には贅沢すぎる願いで、うっかりトキメク自分に親の欲というものを感じずにはいられませんでした。
いつか全ての思い出が
「あんなにあんなに」
とジワる日が来ますように。
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米粉のベイクドチーズケーキ
いただき物のレモンで作ったコンフィも添えて
あーあ
いつの間にかこの日さえも懐かしんで
全てを笑うだろう
全てを愛すだろう
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気づきと癒しと浄化に感謝( ・ᴗ・̥̥̥ )
#賑やかし帯
いつきさんがプレゼントしてくれたオリジナル帯です♡