社会や自然の複雑さと、壊れていく根本にあるものについて。
コロナが流行って考え始めたのですが、人間よりも遥かに小さい物質がこんなにも人の身体的に大きな影響を与えるのは、なぜなんだと。
幼稚な考えですが、大きければ頑丈そうに見えるのに、なぜこんなにもダメージを受けるのか、そんな事を漠然と思いました。
そこから飛躍して、人間の体の中では何が起きているんだろうかと思い、福岡伸一さんの著書から生物学、遺伝子についてを学び始めました。
そして読んだ本から、生物学を通して、生命体の中で起きている事や、この世界で起きている事について理由や、
それを理解していく自分たちに必要な「物の見方」について、要約とその補足スライドを。
【この世界の成り立ち】
生命体や、この世界(自然やその中にある人間社会)は「動的平衡」によって成り立っている。
動的平衡の定義は、
「それを構成する要素は、絶え間なく消長、変化、交換しているにも関わらず、全体として一定のバランス、つまり恒常性が保たれている系」とある。
つまり動いているからこそ、バランスが一定に保たれているという事である。
この世界は「エントロピー増大の法則」という、秩序あるモノを破壊しようとする力が働いている。
これはスピリチュアルとかではなく、詳しくは”量子力学”を学ばないと正確に理解出来ないのですが、学問としては、
”主として分子や原子、あるいはそれを構成する電子など、微視的な物理現象を記述する力学である。(Wikipedia)”
とあるが、この原子の運動は不規則で無秩序な運動をしている。そして生命はこの無秩序な原子によって構成されている。
この無秩序によって秩序あるものが構成されているのは、矛盾の様に見えるが、このエントロピー(乱雑さ)は、母数が増えると減ってくるという性質を持つ。
原子の数が多ければ、ランダムな値は平均値へと近づいていく。
生命体は、乱雑さが少なくなるくらい多くの原子から成り立っているため存在出来ている。
でも数が多いとは言うが、生命体の中にはエントロピーが必ず存在している。だからこそ”大きな数の原子が集まりる”だけではなく、
”多様に満ち溢れる事”で、おびただしく要素の結びつき、相互依存・補完的だからこそ、生命体は変化を受け入れられ、一定でいられるのである。
この2つによって、わざと仕組みを緩く作って、あえて自ら先に壊して、作り直す事で、エントロピーを生命体の外に出して、エントロピーの増大を抑えて秩序を保つことが可能になっている。
「動き続ける」とは、エントロピーを排出するという事である。秩序は守られるために、絶え間なく破壊され、作り直されなければならない、という事である。
これは生物の中の話だけではなく、地球に関しても全く同じことが言える。
多様さ・数が多さによって、強靭なネットワークが形成されているからこそ、地球であり続けられている。
【その世界の中にいる人間の弱点】
でもそれを見ようとする人間には弱点がある。
人間は「動き続けている現象を捉えるのは苦手」である。
20世紀の科学では、生物の構造や細胞を分解して、端から端までを見ようとしてきた。
そして分解して出てきた部品や遺伝子を見て、この世界を分かった様な錯覚に陥っている。
なぜ錯覚なのか。
そもその生物はそれ自体やその中で常に動いている。
細胞の中では、絶え間なく消長、変化、交換している。
つまり、その動的な動きを止めて見ているのは、本当の姿を見てはいない。
動的だったものの「影」を見ているだけである。
簡単に言えば、遺伝子といのはA・T・C・Gの4つの要素から成り立っている。この1つ1つには何の意味はなく、これらが重なり合う事によって意味を持つ。遺伝子の動きを止めて、中を分解して見ても、何も答えはなく、何も見えない。
確かにそれぞれのパーツには固有の役割を有している。
それを並べて関連を調べていくと、一連の因果関係がある様に見える。
だがそれは、その瞬間しか見ていない。
その前後だと相互作用は変化し、因果の順番が変わるのである。
また結果の原因は、その両者に存在しない可能性もある。
バタフライエフェクト、風が吹けば桶屋が儲かるの様に、多数多様に結びついているからこそ、全く違うとこで起こったことが原因で、その結果を起こしている可能性も十分にある。
つまり、本当の意味で因果関係と呼ばれるものは存在しない。
だが何かを知ろうとした時に動的なものの動きを止めて、静的に見ようとする。(機械論的な見方)
つまりこの世界をパラパラ漫画の様に、静止画を連続させている世界だと捉えている。
そこには本当の時間的な空間というのは存在していない。
もし1ページごとに分けたとしても「厚み」が存在している。
厚みとは、そのページに現在だけではなく、未来・過去も内包されている。
つまりそのページには、次のページに書かれることが「先回り」して一部が描かれてあり、前のページで「先回り」して描かれていたこと描いている。
秩序が守られるために破壊されないといけないからこそ、分解が少し先に先回りして、その不安定さを利用して合成が行われる。
それは空間的広がりのある「厚み」を持つページの中で、先に行われた分解を埋め合わせているかたちで合成が行われ、同時に未来の合成を「先回り」するかたちで分解が行われているという事になる。
つまり、色んな可能性が多元的に重なり合って、同時に存在している。
そこには、それまでに生じた事、これから生じる事を内包した空間的な広がりが「厚み」であり、時間の本質である。(動的平衡的な見方)
時間が空間であり、空間が時間となっている。
改めて、その動的な動きを止めて見ているのは、本当の姿を見てはいない。
動的だったものを静的に見た姿、動的なもの「影」を見ているだけである。
【この世界は、一定の自由さが存在する】
この上で、エントロピーを抑えるシステムがあるからこそ秩序が保たれていると書いたが、根本には「自由さ」が残されている。
簡単に言うなら遺伝子というのは、その生命体の設計図である。
その生命体の構造や働きについて記されてあり、私たちを規程している様に見えるが、それは最低限である。
この様にならないと、生命体を維持出来ないないというミクロなパーツに対しては動きを決めるものの、マクロな視点で見えば、その生命体の振る舞いには、その範囲内なら何をしても良いと多くの可能性を残している。
言い換えるなら、音楽の楽譜の様に、音の高さと長さだけは規程しているだけで、それをどう表現するかは演奏者によって任されている。
同じ曲でも人によって表情が変わる様に、振る舞いの自由さが残されている。
だから必ずこうなると一限的な見方は出来ないのである。
世界は不変ではなく、「不断の動きの中」にあるからこそ、
世界や生命をものとしてミクロな部品の集合体に見るのではなく、動的な平衡として「現象」として捉える事が大事である。