インターネットと人間の想像力 / #読書雑記
毎週日曜日に更新していく読書雑記です。
文章から言葉を拾って考えたり、内容から物事を考えてみたりした発見・学びや、文章と自分の間で生まれる感情など、諸々です。
そう、とりあえずやってみるを精神。
▶︎ 今日の一冊 / ソーシャルメディア進化論
ビジネスにおいて今まで排除されてきた「人の感情」をインターネットを通じて、どの様に経済合理性の中に組み込こむのか考えられた一冊です。
▶︎ 発見や気付き
”彼は、巨大なコンピューターに人間の代替(AI)をさせるのではなく、コンピュータを個人に分配し、人々がコンピュータと対話することで人間の拡張が起こる、いわば「IA (インテリジェンス・コンプリファイア)」としてのコンピュータを目指した。「AI」ならぬ「IA」。それは人間を機械で置き換えようとする人工知能の発想とは対極のものだった。” p58
これを考えたダグラス・エンゲルバート氏は、当時主流であったAIを研究対象としなかったため、周囲から異端や奇人の様な扱いを受けていたそうなのですが、本当に常識って常識ではないんだなと思います。
信じる人が多いからこそ、それが常識になっていく、この世界は本当に虚構だなと思います。
そんな世界に希望を作り続け、更新していくためには、彼の様に人間の能力を拡張させていく方が、せめて人工生命より良いのかなと、現状思っています。
今度、人工生命の是非について、映画「ブレードランナー」を観て考えたいです。
”私たちは鉄壁の安全性を求め、問題が起こった場合は投稿された記事の削除や、投稿者を退会させるといった対処を可能にするシステムを作った。
しかし、せっかくのシステムであったが、この様な手段が使用されるケースはまれであった。いざという時のための保険の様なもので、実際の現場で使われることはほとんどなかった。牽制力は、罰則的な対処よりもコミュニティから生まれる「空気感」によるものの方が強いことが分かってきた。” p173
「ルール・法」よりも「人間の倫理観」の方が効力が高いって事なのかと思いました。ですがこれが効くのは、閉じた空間で、帰属意識が高い時、つまり共同体意識がある時です。だからTwitter上は倫理観とかはない様に見えます。
だからこそ、信じれる何かを作る事が必要だと思います。それは数十人のコミュニティや国など規模は違えど、共通意識や体験・価値観を持つ事が重要だなと。人間の想像力は、元々はないものあるとするからこそ、大きな力を発揮するなと思いました。
”「ジョン・レノンの『イマジン』って曲ね。あれは、みんながラブ・アンド・ピースを想像したから、世界は本当にそうなるよって歌なんだ。でもカウンターカルチャーが結実しなかった理由はね、隣のやつが本当にそれを想像しているか、みんなが分からなくなったってことにある。」”p315
日本人は同調圧力が強いからとかではなく、人間、誰かと同じ意識で繋がってるって思えないと不安になるんだなと気付きました。
それが今、テクノロジーとインターネットの発展によって、感情が可視化されてきているからこそ、信じやすくなった。
さっきから「信じる力」についてしか言ってないが、信じる事も倫理観も脆いんだよな。だからこそ、物事を共有による恩のやり取りが必要なんだなと。だからこそ人には親切に。シェアで想いを共有していく。
▶︎ 思った事や感じた事
”それまで企業が打ち出す物語を受容するだけであった消費者が、今度は、自ら物語を創り出す事を始めたことだ。” p32
インターネットの本質に基づいたコミュニケーションスタイルである、「フラット」「オンリー」「オープン」「ロングターム」は、まさに今の時代と同様に個の影響力が強くなる。今は経済に適応されているが、これからは政治にも影響を及ぼしていきそう。
また時代には、揺り戻しがあると思うからこそ起こるとすれば、影響力が個への分散から権力者への集中に戻るのか。もしくは発信する側になる時代から受容する時代へとなるのか。
前者が意味するのは、インターネットの自律分散という性質が弱まっている事を表す。この時に弱めるのは、多分人間ではなく人工生命。
後者が意味するのは、相互支援の世界。自分も発信して受けた恩恵を他の人に回すという事。
ディストピア、ユートピア、現状どちらも来そうなイメージ。
”人類が手にした新しいメディアであるインターネットは、「個人の力を最大化させ、それらを繋ぎ合わせる」と言うコンセプトを持って生まれた。インターネットのコミュニケーションは時空間を超える。言語、歴史、国境、あらゆる制限を超えていく。私たちが繋がり合うのは、7つの海を超えた世界全体においてである。世界は私たちの対話によって一つになる。いや、元々一つであった事を再認識する。対話によって生まれた意見の一致が、様々な二項対立や利益相反を止揚させ、隔絶している者の間に橋を架ける” p317
AIに代替してもうらのではなく、インターネットの助けさえあれば、自分たちでどうにか出来るという事だろう。
「個人の拡張」と「双方向コミュニケーション」の個と全体が同時に成立するのは、矛盾している様に見えて、現実的な話だと思う。
少なくともこの言葉に矛盾を感じた自分は、何かしらの固定概念に囚われていた。インターネットのおかげで、経済のあり方も変わる。
システムや構造を変えてしまう見えない力は、一人の力ではどうにも出来ないからこそ、自分のあり方を大事にしたい。そして変わった方向がユートピアである事を願う。
▶︎ 考えた事
改めて人間の「想像力」って強力だなと。
でもこれって当たり前というか、認識すら出来てないと思う。
なんならテクノロジーの助けもあるから、余計見づらくなっている。
今世界が成り立っているのが、テクノロジーだと思う人がいるけど、その根本は「想像」だという事を理解していないと、これからの個人としての生き方や人間社会が間違った方向性に進みかねない。
完全な幸せを目指そうとして、死なない事を目的にした人類はリスクを犯せなくなる。そしてその目指している「想像」の世界に飲み込まれて消えるだろう。
今の倍の西暦の4000年には人類はいるのだろうか。そんな人類は地球から見れば、自分の体を痛めつける一瞬の悪夢の様な存在なのかもしれない。そして人類はその夢の中で、今日も元気に頑張っている。
言い方は良くないと思うが、この世界は全て「虚構」である。
現象自体には何も意味はなく、人間が意味をつけているだけ。
”愛”や”勇気”や”幸せ”とかも、虚構や妄想であり信じているから成立している。これに良い悪いはなく、これが人間。
前回のnoteで、「サピエンス全史」と「ホモデウス」の翻訳者の柴田さんの対談記事を読んで、絶望したと書いたが、まさにそうなる分岐点に人類はいると思うからこそ考えなくては。
目に見えないから分からないが、過去から未来へ線を引っ張ってみると気づく。言い方悪いけど、政治がクソとかコロナとかではない。
コロナは時代なので、これらは序章に過ぎない。何も考えずに流され続けると、目に見える時にはもう遅いなと。
極端に悪いイメージがあるだけなら良いのだが、ありえなくはないからこそ、これをテーマに一個noteを書いてみようかな。
少しそれて本書とはそれてしまったが、インターネットの便利さを享受するためにも、より考えないとなと思いました。