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憧れの大原美術館――「特別展 異文化は共鳴するのか?大原コレクションでひらく近代への扉」大原美術館、そして富弘美術館

2024年の美術展・展覧会を振り返る⑤

ずっと憧れていた大原美術館。
ようやく訪れることができました。

リットン調査団が倉敷を訪れた際に大原孫三郎が集めた名品の存在を知り、倉敷を爆撃目標から外させた……という、お話が残る大原美術館。実のところ、真偽は定かではないようですが、倉敷に渡ってきた美術品の素晴らしさと研究の質の高さは本物です。

この時、特別展「異文化は共鳴するのか? 大原コレクションでひらく近代への扉」が開催されていました。
近代以降、西洋から新たな美術様式が日本に流れ込み、どのように日本人の感性を刺激し、美術文化が混ざりあっていったのか。
擦れ合う国際社会において美術や芸術は異文化理解、調和の鍵となるのか。
これは私が長らく関心をもっている領域です。
憧れの大原美術館でこのような特別展をみられるなんてとても幸運でした。

強い日差しが降り注ぐ猛暑日。けれども、来館できたことが嬉しくて門の前で開館を待つことに。
なんと1番のり!

開かれた門をくぐり、憧れの美術館が目の前に現れた時の迫力はまるで映画のワンシーンのよう!感慨無量!

さて、特別展「異文化は共鳴するのか? 大原コレクションでひらく近代への扉展覧会」へ。
さまざまな国の文化を体験した児島虎次郎の作品、西洋美術の特徴を取り入れた日本人画家による作品などを通じて、異文化が混ざり合う瞬間、人間の普遍性をドラマチックに追う素晴らしい展示でした。(個人的にこれまで行った展示のなかでもマイベストTOP3に入るレベル!)

同じ国のなかですら大きな分断を引き起こしているような現代において「人間は異なる文化をもった他者と響き合うことができる」というメッセージは希望に溢れ胸を熱くするものがあります。

また、写真でみていた名品の数々を実際にこの眼でみることで、美術作品に直に触れることの重みを改めて感じました。

とくに熊谷守一《陽の死んだ日》。子を失った悲しみや喪失感、行き場のない感情がカンヴァスに広がるこの絵をみた時の感覚は永遠に忘れないでしょう。

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訪れたのは夏頃だったのですが、その後、10月に大原美術館の館長を務められていた高階秀爾先生の訃報を知ることになるとは……。

また今年は群馬県みどり市にある富弘美術館を訪れたのですが、来館するちょうど一週間前に星野富弘さんの訃報を知りました。
(美術館の入り口には感想ノートと芳名帳が置いてあり、星野富弘先生に向けて名前と作品へと想いをしたためました。)

豊かな自然の中のロケーションに建つ富弘美術館。「生きる」とはなにかを問いかける、生命力に溢れる美術館でした。

直接お会いしてみたい、お話を聴いてみたいという夢が叶わないのか……という虚しさを感じると同時に、講演会であったりアナログで会う機会というのがどれほど貴重なものかということを強く認識させられました。
確かに本を読んだり、絵画を観るのも好きだけれど、それらを産み出す人たちから本や作品の枠に収まりきらないお話を聴いたり、想いを知ることも好きです。
当たり前のことだけれど、アナログで会う、聴くことの大切さを痛切に感じました。

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ちょこっと追記。
つい数日前、高階秀爾先生を特集した「日曜美術館」の再放送を観ました。
先生が西洋美術と出会ったことで、日本人の眼差しを再発見したということについて触れられていました。
このことは特別展で触れた数々の名画とも「共鳴」するなぁ、と感じたのでした。
また日本人が西洋美術を観るということはどのような意味をもつのか……。自分なりに今後もゆっくりと絵画と向き合いながら考えていきたい。
そんなふうに思いました。

倉敷で「夏」を思い存分満喫したモーニング。セミの鳴き声、扇風機、古風な庭……子どもの頃に祖父の家に泊まりに行った日の朝を思い出しました。懐かしさでいっぱい、お腹もいっぱい。

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