『世界は、それを愛と呼ぶんだぜ。』
こんばんは☆彡真美です(∩´∀`)∩
3月11日になりましたね。東日本大震災の当日です。
昨日noteに書きましたが、あれから10年たったなんて信じられません。
色々な思いあれど、今でもあの日のことは忘れられない記憶になっています。
◆2泊3日の合宿。
地震があった後、お世話になっているご夫婦からの連絡もあって、何とか東京の友人たちと合流できた私ですが、実家と連絡が取れずにいました。
海沿いに住んでいる母方の祖母は、連絡が取れて、ほっとしました。
夜は、8人で合宿。
こたつを囲んで、寝ました。
時々なる緊急事態のサイレンの音で目を覚ましながら……。
ニュースで見たのは、隣の件である福島が飲み込まれていく姿と、宮城県の悲惨な現状。
地元の茨城も被災地でしたが、ほぼニュースにはなりませんでした。
今では理解できますが、それほど、酷かったため、報道が間に合ってなかったのかもしれません。
幼馴染から、次々「無事だよ!」とメールが来て、涙が出たのを覚えています。
(元喫茶店の仲間は、卒業旅行の最中で、海外にいたりしました。)
大洗周辺に住んでいる友人たちも、避難していたのもあり、無事でした。
家や車が津波に持っていかれてしまった人はいたようですが、本人たちが無事で何よりです。
地震の、次の日、やっと両親と連絡がつきました。妹はショッピングモールにいたようで、ケガもなく無事に家に帰ってきたそうです。
父は役所対応に追われ、会社に泊まり込み状態でした。
「大変な状況だからこそ、実家に帰りたい。」と伝えたところ、母から電車がそもそも止まっていて、こっちまで来れない旨を伝えられました。
「今は皆が大変な時だから、頑張るのよ」と言ってもらい、何とか持ち直した私は、今できることをする!と決めました。
合宿中は、友達と料理をしたり、映画を見たり、買い物に分担していったりと協力して過ごしたのを覚えています。
近くに友人や、仲間がいて助け合えたことを、とても感謝しました。
◆あれから、10年……。
10年経って思うのは、私は「生かされたな…。」と思います。
あの惨劇の中で、たまたま東京にいたこと。ビルが倒壊しなかったこと。
全部色々な偶然が重なって、生かされたと思いました。
東日本大震災の時に、「日本人の礼節を守る」姿は、本当にかけがえのない文化だと思いました。
とても大変な時期なのにも関わらず、母は、「皆、大変な時期だから」と言いました。
被災地の中で、全員ボロボロの中で、配給を待つ人たちは全員きちんと並んで待っていました。列を乱すこともなく。大人も、子供も全員同じ状況で…。
(これが、他の国であれば、恐らく暴動や、婦女暴行などが起こるはずです)
電話がつながらなくて、公衆電話に並んでいた時、励ましてくれました。
日本人は、凄いなと…この時、改めて思いました。
自衛隊の人たちは、朝昼晩関係なく、捜索作業をしてくださいました。
亡くなる人を多く目の当たりにして、精神的に傷ついた人も沢山います。
未だに、復興作業は全部終わっていないです。
あの日、あの時に、この瞬間を生きたかった人が沢山いるはずです。
私は、生かされたからこそ、自分の人生を思いっきり生きる選択をします。自分に出来ることは、まずは自分の人生を一生懸命全うすることだと思っています。
しっかり生きて、恩送り出来る自分になります☆彡
(※サンボマスターのVo.の山口さんは福島出身です)