矛盾と葛藤
まず、屁理屈くさいボヤキ臭漂う記事になるであろうことをご了承いただきたい。
ヨガとピラティスのオンラインクラスを企んでから、未だほぼ全くと言っていいほど運営されてない状態なのだけれど、相変わらずそのことで頭はいっぱいで、しかも「集客」と称したインスタグラムの投稿に必死。
もうミイラ取りがミイラで、完全にインスタの餌食になっている。
そして、「私は一体何をしているのだろう」と思いつつも、毎日が何か知らんが忙しく忙しく過ぎて行く。
インスタグラムの投稿は、「自主練習」という点で悪いことばかりではない。
確かに、練習を自撮りしているわけで、しかも、ある程度の見栄えは気になるから、何でもアップできるわけでないし、いわゆるインスタ映えする投稿を目指しがちだが、皆があっと思うような上級者向けポーズはあまり練習してこなかったから、ここになって挑戦が始まった。
しかも、自分の動きを撮影して見直すことで、自分の癖等、意識し直した方が良い箇所なども結構見えてきて、まるで自分で自分をレッスンしているような感じになってきた。
とはいえ、もちろん、ヨガの練習はどう見えてるかより、どう感じているかの方がよっぽど重要だということを決して忘れてはいけない。
そう、ここですでに矛盾と葛藤が生まれる。
「ヨガとは心の作用を抑止することである」
というヨガの大元の考え方からすると、見栄えを気にして、それで練習するなど、なんだか邪道なわけだ。
「ヨガ」ってことを売り物にする地点で無理があるんだよね。多分。
「売り出す」って考え方がすでに、ヨガ哲学から逸れてるわけだ。多分。
ヨガを伝えなければ、という使命の元に活動していればいいのだと思う。私の場合はおそらくどこかに金儲けの野心があるのだろう。爆笑←儲けてから言え。
うーーーーん。
だけどね、
こうやって私の発信に引っかかって、やってみようかな、って興味を持つ人がいるかもしれない。いないかもしれない。
(きっとマネージメント系の人に言わせれば、それでは売れません。と言われる……)それでその人がヨガの沼にハマればいいではないか。笑
で。
ヨガって結局自分との戦い?というか自分と向き合うことでしょう。
でも今日一般的に「ヨガ」やろうかな、とか「ヨガ」良さそう、っていう人の大半は、きっと、まず心の変化よりも体の変化を求めてると思う。おそらく。
痩せたい、とか、柔らかくなりたい、とか、あのポーズやりたい、とか。
だからそれを叶えてあげられることこそが、商品として優秀なのだろうけれど、ヨガってそれだけではヨガではないから…どうする?みたいな感じに陥っている。
云々。
多分深く考え過ぎている。
体は年齢に関係なくいい変化ができる。
例えば柔軟性はいつからでも増すし、気づいていなかった筋肉や感覚を研ぎ澄ませることができる。
始めるに遅いなんてことは決してない。
それは私自身が体感したこと。それは伝えられる。
そこからの心の変化は各々変わってくるし、実際私自身、まだはっきり自分がどう変わっていってるなんて明確にいうことはできない。
そんなちょろっとヨガを始めたくらいで、誰もが心を抑制できるようならば、ヨガが何千年の歴史をかけて進化し、未だ人々を魅了する訓練であるはずがなく、世の中だってとっくに平和で天国のようになっているはずだ。
ヨガを始めて約10年。
相変わらずよくイライラする。
相変わらずせっかちである。
相変わらず酒は飲む。
イライラしているせっかちな酒飲みヨガのインストラクターってどうなん…..
チーーーン。
やっぱどっかに籠るような修行に行かないとダメか。。。
本当にまとまりのないボヤキになってしまったけれど。
そんな風に、私は今、日々、矛盾と葛藤と戦っている。
これがパッと晴れた時、いろんなことが回り始めるのだろうか、
なんて淡い期待をしつつ。。。