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マンチェスター・バイ・ザ・シー
あなたのちょっとした判断が取り返しのつかない事になる可能性だってあり得る。それはいつまで経っても人生の汚点となってあなたに付きまとい、消化される事の無いプラスチックのようにはっきりと残り続ける。それでも人間は生きていかなければならない。それがどんなにつらくても死にきれない私たちは生きていく、それしか選択肢がないのだ。
子供を身籠った時、こんな私でもちゃんとお母さんになれるだろうか?と心配した。子供を守る制度が充実しているアメリカは、私にとって恐怖でもあった。もしかして、私は良い母親になれそうにないから、子供をとりあげられるのかもしれない、と不安になった。妊娠が発覚する前、私は睡眠導入剤による自殺未遂と刃物による突発的自傷を起こし、カウンセリングを始めたばかりだった。病院内のグループカウンセリングに通い、同じ系列の産婦人科に通った。産婦人科の看護婦たちは容赦なかった。私が恐れていることを平気で言った。「その腕の傷、どうしてそんな事したの?」あまりにも心無い一言が私を心底怯えさせた。取り返しのつかない目に見える傷が私にはあって、それが私と家族とこれから生まれてくる我が子を脅かしている。最悪な気分になった。そして呪縛のように付きまとう、遠く日本にいる母親の存在。私は母親になるのが怖かった。自分の母親のようになることが目に見えてくるようで怖かった。私は母がしたように、自分の子供を傷つけてしまうかもしれない。自分の子供なのに愛せないかもしれない、そうなってしまった時を過剰に心配して怖かった。妊娠が発覚した時点で煙草をやめた。そして処方されていた抗うつ剤と不安時に飲む頓服剤、睡眠剤を医者の許可なく止めた。そして意味のなさそうなグループカウンセリングも行くのをやめた。
完全に孤立していた。それでもそれは心地の良いもので、私は社会に隔たれている、それでだれにも邪魔されない、生暖かい水に浮かんでいるような心地だった。確かに私の中に何かがいて、それが私の血を分けた存在なのだとちょっとだけ嬉しくなった。私はお母さんじゃない、あの人のようにはならない、と囁いてみた。でも確信は持てなかった。母親になる事は、あの人に一歩近付く事だった。
東海岸には一度も行った事がない。西よりも長い歴史のあるその街には、ちょっと違った、人々の霊的な想いが籠っている感じがしてならない。歴史が長ければ長いほど、そこに宿る人々の記憶が空気を通して伝わってくる。日本にいる時には気付かなかったけれど、里帰りを何度かしているうちにそういう空気の感じだとかが、日本と西海岸では違う気がした。きっとただの思い過ごしなのかもしれない。でも空気の中にそんな想いが残っている気がしてならない。東海岸が舞台のこの映画も、そういう変な想いを随所に感じた。ボストンで掃除夫兼便利屋として、アパートの管理人の元で働く主人公のリーにも取り返しのつかない過去があった。それを抱え込みながら、彼は一人淡々と生きていた。主人公のイライラとは裏腹に、ゆっくりとした音楽が心の平穏をかき乱すような不思議な感じがした。
この映画、一度目は一人で、二度目は連れと一緒に持たのだけれど、面白い発見があった。私は診断を受けたわけではないが、ASDとADHDの気があると思う。そのASDの特徴が主人公に顕著にあり、失笑してしまった。私と同じ生き辛さだ、と面白くなった。しかし二度目を見た時、冒頭から連れがおかしい、こいつ不思議だを連発するのだ。例えば冒頭でアパートの住人(女性)が修理を頼んでいるシーンで、彼に対して怒り出すというのがあって、普通の人間には彼女が彼を誘っていると分かるそうなんだけど、私には分からなかった。その後も女の人からアプローチをしてくるシーンが結構あって、でも主人公には全くわからないのだ。
そういうふうに淡々と日々を過ごしていたリーの元に入った一本の電話。それは故郷の兄の危篤を知らせるものだった。リーのよき理解者であった兄が患っていた心臓の病気で死ぬところから、彼は自分の過去に向き合いはじめる。兄には16歳になる一人息子と、アル中で行方知れずの元妻がいたが、元妻の行方が知れないので、甥っ子の後見人になってほしいと遺書に書かれていた。リーの周りにいる人間は、ほとんどが彼の過去を知っているので、暖かい。その暖かさをリーが理解しているのか定かではないが、リーも彼なりに甥っ子を理解しようと必死だ。きっかけが何にしろ自分の傷と向き合わなければならない、という分岐点は生きていると必ずやってくる。そこで真摯に自分の傷と向き合う事が出来る人間はどれほどいるであろうか?そしてその傷に向き合った時、屈せずそれを受け入れ、また生き始める事の出来る人間はどれほどいるのだろうか?
抱えているものが何であれ、人には一つや二つ消化し切れない思い出なんかがあるはずだ。それがあるからこそ、その人の人間性が生まれるのだし、味のある人生が成立する。何も思い出や葛藤、後悔や苦しみがない人間なんてきっと存在しないと思うし、いたとしたら何の面白みもない。寡黙な人間の心の中はきっと豊かなのかもしれない。多くを語らず、心の中で自分なりの結論を導く主人公。彼が結論を口に出すとき、それは絶対だ。私にもそういう傾向があって、突然重大な発表をするから母によくからかわれた。あなたが口にしたら、もうそれはこうすると決めているから、何も口出しできない。別にそういうつもりはなかったのだけれど、口下手なので、全部頭の中で考えてからでないと、声に発せないのだ。
そういう決断をリーも下した。結果的に彼は過去と向き合い、しかしそれを乗り越える事は出来なかった。それなのにもやもやはせず、残るのは彼なりの暖かさだ、という理解。
この世の中に起きる全ての現実の物語は決してハッピーエンドではないし、バッドエンドでもない。人生とは、そういうもんだ。そこには正解なんてないし、ましてやめでたしめでたし、なんて大々的なものは存在しない。淡々と日々を綴る、それが人生だと思う。
自分の心配事とは裏腹に、私は無事に父の命日である日に子供を産んだ。初めて対面したエイリアンのような我が子はかわいかったけれどまったく愛しいなんて思えず、怖くなった。でも不思議な事に時間が経つにつれて、世話をしていくにつれて、愛情というものが湧きはじめたのが分かった。母子完全同室、というのが良かったのかもしれない。好きなだけ授乳して、抱っこできた。そして極めつけはアメリカ式、次の日にはもう退院だ。日々の生活で、私の赤ちゃんは宝物になり、愛しさしか感じなかった。泣き声さえも愛しくて、そんな感情が私の内にもあるのだと驚いた。そして同時になぜ母はこんなにかわいいはずの我が子にあんなにつらく当たったのかしら、と怒りを感じた。
子供が生まれた時、少しだけ母親と向き合う事があり、そこで私の知らなかった様々な出来事を聞かされた。母が身籠ったころ父は単身赴任で遠くの町にいた。実母である私のおばあちゃんは行方知れずで、夫の実家は頼れない。ひとりで妊娠生活を乗り越えていた母。私が生まれた頃父が戻ってきたけど、夫婦生活はあまり良いものとは言えなかったらしい。その腹いせか、父が仕事の時は、まだ一歳にもならない私を置き去りにして母も外出したそうだ。「家に戻るとあなたがいつも金切り声で泣いているから、大変だったわ」そう面白おかしく語る母に失言した。私は、そんな扱いを受けていたのか、私は自分の子供を一人残して外出なんてできないから、理解に苦しんだ。でも母もきっとその頃崖っぷちに綱渡りの人生だったんだろう。
「あなたが三歳の頃家の階段から落ちてね、同じ時期、同じ年頃の子が階段から落ちて死んだのよ」小さかった私に母はその話を何度もした。生きていて良かったねという意味で言ったのか、あの時死んどけばよかったのに、という意味で語っていたのかは定かではないし、知りたくもない。でもそろそろ母と本当に向き合わなければならないなあ、と感じている。どんなに酷いことを言われようが、やはり育ててくれたのは彼女だし、様々なところでお金を工面してくれたのも彼女なのだ。長女同士、きっと素直になれない事も沢山あるし、理解できるところも沢山あると思う。私は向き合いたいのだが、肝心の母がいつもはぐらかすのだ。過去を探るのはやめた方がいいとまで言われてしまった。いつも平行線で、私の欲求は最高潮に達しているにもかかわらず、相手がこうだからなかなか向き合えないのだ。きっと彼女は彼女なりの安息を手に入れてしまったんだと思う。それを私がかき乱そうとするから困っているのかもしれない。私も自分が納得するまでもやもやするタイプだから、絶対答えが欲しいのだ。きっと母親の安息なんてどうでもいいことで、私は自分の欲しい答えだけ手に入ればそれでいいのだ。私は自分の中にいる薄っぺらの母親をもう少しリアリティのある人間にしたいのだと思う。このまま薄っぺらの母親が、私の中の記憶として残り続けるのだけは阻止したい。きっと母は人間らしい人間なのだと思うし、私の事も知ってほしい。
理解したい人とみる、そんな映画だった。