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動作に込めた心は瞳に映るから
ルアンパバーンの朝は托鉢から始まる。
仏教徒の美しい朝の習慣を覗いてみたくて、朝5時過ぎに教えてもらった場所に向かった。
そこに集まっていたのは観光客用に托鉢のためのカオニャオ(ご飯)を売る人と各国から集まった観光客。写真を撮りに来た人のほうが多いようだ。完全に観光用なんだなとがっかりしながら、素直にカオニャオを買い、僧侶たちを待つ。
やってきた僧侶たちは、小学生くらいの子も混ざった少年たち。なんだかお母さんになった気持ちで、慌ただしくカオニャオを差し出していると、あっという間になくなってしまった。
観光客が托鉢の模倣をしただけになっちゃったな、と虚しい気持ちで宿に帰る路地。そこは、大通りとはまったく違う空気だった。
しっかりと手を合わせる人と立ち止まってはお経をあげ、ゆっくりと進む僧侶たち。
本物の托鉢だ。
仰々しさはまったくなく、日常に溶け込んでいる風景。きれいな時間だなと感じた。
同じ行為でも、心がこもっているとまったく別のものになるんだな。
それはきっと普段の言動も同じで、気持ちが見えない動きをする人に違和感を感じるのはそのせいなのかなと思い当たる。
込めた心はちゃんと伝わる。
それを目の当たりにできただけでも、いい朝になった。
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