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「聴く/きく」の調律

126日目。

今日は、きくさんとランチ。いそいそと二子玉川まで出かけてゆきました。

2月のコンサートで、きくさんとわたしは、ピアノの即興演奏とポエトリー・リーディングのアンサンブルをしたのですが、今日はその打ち上げ。
2ヶ月経っちゃったんですけどネ。

きくさんと駅でおちあい、向かったのは、そう!
按田餃子。
ふふふ。

今日は、水餃子、夜食麺(昼だけど)、なますのようなもの(というメニュー名です)を注文し、ふたりでシェアしました。
飲み物は、わたしは、ずっと気になっていたけど頼んだことがなかった木耳汁(きくらげジュース)。きくさんは、ターメリックレモネード。

今日注文したものは、水餃子以外は初めて食べるものばかりでしたが、やっぱり、ますます、按田餃子が好きになりました。
ほんと、何を食べても美味しいなぁ。
次は、麻婆豆腐に挑戦してみたいです。

……。

あ!

按田餃子が好きすぎて、ついつい詳しく何を食べたかまで語ってしまいました(笑)。

お会いする前から、きくさんに話したいことがたくさんあり過ぎる、どうしよう、一体何から話したらいいんだぁー?!という状態でしたが、積もる話をひとつずつほぐして話していく過程は、わたしにとっては、ほんとうにかけがえのない時間でした。

コンサートのこと、小城弓子さんの個展のこと、美濃の旅のこと、お互いの仕事のこと、音楽のこと、表現のこと、その他たわいもない話…。

きくさんと話していると、ととのうなぁ、と思うときがあります。

何がととのうのか?

それは、「聴く力」。

きくさんと話すと、「聴くこと」の原点に立ち還れるような、自分の中にある「聴く力」を調律しているような、そんな気持ちになることがあります。

きくさんは、これまで「言葉にならない言葉」「声にならない声」に耳を澄ましてきた方。
その「言葉にならない言葉」「声にならない声」に耳を傾ける、という姿勢が、きくさんのデフォルトになっていて、その能力を意識することなく使っていると思うんです。

そのきくさんの姿勢に、わたしはいつも癒され、励まされてきたのです。
癒され、励まされることによって、使いすぎて曇ってきたり、錆びついたり、くたびれたりしている、自分の「聴く力」をきれいにお掃除して、調律しているのだ、と。

「人の話を聴く」というのは、単にその人の言っていることを理解する、ということだけではないですよね。

その人が、言葉を使っては話さないけど、存在全体を使って話していること。
音として声には出さないけれど、佇まいから発している声。
そういうものにも、わたしたちは耳を傾けているって思うんです。

その、淡く儚い、捉えられない、うまく言葉にはできない、けれどたしかにそこにあるもの。

そういう、普段は誰からも気にも留めてもらえないようなちいさな響きを、きくさんは掬い上げて、それはとても美しいものですね、って、リフレクションしてくれる。

その在り方に、わたしの「聴く力」がクリーニングされ、調律されていく。

「聴く」の調律師、きくさん、なのであります。

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ライティング・ライフ・プロジェクト第5期、満席にて受付終了いたしました。ありがとうございました。




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